【祈り】アラハバキ神を求めて! 会いに行ったのは道ひらきの猿田彦大神! 猿田彦神社・京都

2022.1.24  Chikako Natsui
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2021年11月。

アラハバキ神を求めた京都の旅。地下鉄を乗り継ぎ、出雲路幸神社の後に参ったのは猿田彦神社。

 

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猿田彦神社

ご祭神 猿田彦大神

 

平安期、最澄が座禅のために霊窟を求めて探して歩いていたところ、猿田彦神が現れてこの地を示ししため、座禅石の傍らに猿田彦神を祀ったことを創祀の始めと伝える。その後嵯峨天皇が行幸の際には猿田彦が道案内をしたため、天皇は社殿を建立したといわれる。中風・神経痛・腰痛などの病気封じの信仰がある。玄関、勝手口、金庫などにつるす盗難除け左なわや手芸上達を願う招福布猿が授与される。京洛三庚申の一社に数えられている。(京都観光Naviより)

 

ご由緒

山ノ内庚申と言い、京洛三庚申の一社に数えられ、洛西の旧社として著名やお社である。
古図によれば三条通り側に鳥居があり参拝したと言われる。
猿田彦大神は道ひらきの神、人生の道案内の神と崇められ、開運除災、除病招福の御神徳を以って世に知られている。
見ざる、言わざる、聞かざるの三神猿は世の諸悪を排除して開運招福をもたらす崇高な御神教を示すものである。
(神社略記より抜粋)

地下鉄東西線「太秦天神川駅」で下車。そこから徒歩5〜6分ほどのところに猿田彦神社はある。

道路沿いにあるので見つけやすい。

 

 

境内に参拝者はいない。静か〜。

 

 

どこにでもあるような境内だが、ここのエネルギーにホッとする。

京都にあれど、華やかさも、雅さも感じない。どちらかというと地味で、村の鎮守様的に思える。

この表現で合っているか分からないが、誠実さを感じる。

土のエネルギーが強いからだろうか。

 

猿田彦大神というと、よく石碑をみる。

 

 

ところで猿田彦神社。御由緒によると京洛三庚申のひとつらしい。

ちなみに、三庚申のあとの2つは、

京都東山区にある、金剛寺庚申堂(八坂庚申堂)と尊勝院(粟田口庚申堂 )。(Wikipediaより)

 

庚申信仰とは?

中国道教の説く「三尸説(さんしせつ)」をもとに、仏教、特に密教・神道・修験道・呪術的な医学や、日本の民間のさまざまな信仰(民間信仰)や習俗などが複雑に絡み合った複合信仰である。

庚申(かのえさる、こうしん)とは、干支(かんし、えと)、すなわち十干・十二支の60通りある組み合わせのうちの一つである。
陰陽五行説では、十干の庚は陽の金、十二支の申は陽の金で、比和(同気が重なる)とされている。干支であるので、年(西暦年を60で割り切れる年)を始め、月(西暦年の下1桁が3・8(十干が癸・戊)の年の7月)、さらに日(60日ごと)がそれぞれに相当する。
庚申の年・日は金気が天地に充満して、人の心が冷酷になりやすいとされた。

この庚申の日に禁忌(きんき)行事を中心とする信仰があり、日本には古く平安時代に移入された。

また「日吉(ひえ)山王信仰」とも習合することにより、室町時代の後期から建立が始まる「庚申(供養)塔」や「碑」には、「申待(さるまち)」と記したり、山王の神使である猿を描くものが著しくなる。
庚申信仰では、もともと猿が庚申の使いとされ、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿をもってその神体とした庚申堂もあったが、やがて青面金剛が本尊とされ、三猿は脇に置かれるようになった
庚申塔も三猿だけだったが同様に添え描かれた

庚申の権能は各地で違うが、多岐にわたり、豊作、招福、厄除け、家族、和合・良縁、建築、健康長寿、病除け、土地・道、諸芸、の神とされ現生利益が求められ祈られた。他に、男女同床せぬとか、結婚を禁ずるとか、この日結ばれてできた子供に盗人の性格があると恐れられたりする因習もあった

庚申信仰では青面金剛と呼ばれる独特の神体を本尊とするが、これは南方熊楠によればインドのヴィシュヌ神が転化したものではないかという。 石田英一郎によれば青面金剛にはまた馬頭観音(インドのハヤグリーヴァ)との関連性も見られるという

庚申信仰はまた神道の猿田彦神とも結びついているが、これは「猿」の字が「庚申」の「申」に通じたことと、猿田彦が塞の神とも同一視され、これを「幸神」と書いて「こうしん」とも読み得たことが原因になっているという

(以上、Wikipediaより)

 

文明・神話・国・・それによって八百万が名前や姿、神威が変わったりすることはよくあることだが、世の中的には、上のように言われているようだ。

 

それでは、猿田彦神社へ!

 

境内真ん中には、舞殿かな。

 

地のエネルギーが荒れていないせいか、境内は高い波動で守られている。

 

 

本殿。

横から失礼しますm(_ _)m

その前にある樹齢700年を越すとされる庚申杉と本殿を一緒に撮影したくて。

 

 

 

庚申杉が天と地のつなぎ役になっている。

陽の光を本殿へ媒介している。

 

 

陽が強くなるほどに、境内のエネルギーも変性していく。

 

 

それに反応したのか、それから何人かの参拝客があった。

 

 

秋葉明神と稲荷大神

 

 

大国主神社

 

 

 

延命寺蔵大菩薩

不動明王

聖観世音菩薩

役行者尊

 

 

最初から最後まで、ゆったりとした静かな時間が流れた。

街中にある神社なので、リフレッシュという言葉が適当では無いように思うのだが、それでも、境内に一歩足を踏み入れると、それまでの忙しいエネルギーが変性していくのが分かる。

道ひらきの神が、なにか唐突にこれからの行先を示してくれるわけではないが、ジワジワとしたなにか、いい意味での得体のしれない「なにか」を感じたように思えた。

 

道をひらくのは、あくまでも自分。

そこに強い意思をもつのならば、道ひらきの神はそこに寄り添い、力を貸してくれるだろう!