過去生の浄化、昇華 薬師如来の導き!

2021.8.15  Chikako Natsui
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先日、薬師如来のエネルギーがとても近く感じられた。

それもそのはず、わたしは山神(水神)、そして薬師如来が鎮まる山の裾野で生まれている。

転生は、フォースとフォースのシンクロニシティ・エネルギーとエネルギーの引き寄せ!

魂の課題を行うためにシンクロしたのが、誕生の地。

土地のエネルギーが土台となり、肉体は形をなし、心身は育まれ、深く深く浸透していく。

土地のエネルギー=地にある八百万

地にある八百万を別ないい方をするなら、地神・土着の神・地神・・。

 

しかし、土地神は未発達がゆえに荒ぶりやすく、他のエネルギーに影響を受けやす。異界の不調和なエネルギーに同調しては、ちょいちょいと問題を引きおこす。

そのため、土地神を鎮めるため、目には目を! 相応した八百万が勧請された。

 

わたしの産土は、山神の地。しかし、そこは昔々荒ぶる地でもあった。

ひとは飢え、病み、争いを繰り返す。加えて疫病の発生は、人びとに死の影を付きまとわせる。

そのような惨状で苦しむ人々を救いたいと、大和の国にある僧が薬師如来を護持し草堂を営み尊像を安置した。

さらに荒ぶる八百万を鎮めるために、霊性の高い様々な山の神が鎮まった。

 

しかし、1000年をとうに過ぎているのに、荒ぶる八百万はなかなか調和せず、界を超えて影響をおよぼす。

親戚を始め、直接的にも間接的にも、わたしの周囲には、病気になるひと、亡くなるひとが多いな〜と思っていた。それゆえに、医療関係や健康産業などに関わる方との出会いや交流も多かった。

また、「死」という分岐点は、霊的・スピリチュアル、ある種の教義や教育などの世界で活動する人びととのつながりができる。

そういったつながりの根底にあり、共有し、同調しているのは、「恐れ」のエネルギーであることがほとんどだ。

 

さて、薬師如来のエネルギーが意識化されたとき、10年以上前に受けたヒプノセラピーのセッションを思い出した。

まだ心理的なことも、霊的なことも仕事にする前のこと。

どちらかというとスピリチュアルなことや宗教的なことを嫌悪していた。
なんでもかんでも神さまのいうとおり! はたまた、それは決まってきたこと!
いやいや、そうじゃなくて、自分で選びたい! 決めたい!
自分の力が及ばないとか、決まってきたことなんて真っ平御免だ!と、思っていた。

だが、カウンセリングの講座で知ったヒプノセラピーなるものに興味をもち、セッションを受けてみたいと思い、知人に紹介してもらった。

 

池袋にあるビルの一室で、そのセッションは始まった。

主訴は、閉所恐怖症気味だったと記憶している。

後から思えば、サイキック能力が機能していると、どのような種類のセッションを受けても、次元と時空の境界を超えやすい。

 

この時わたしは誘導されながら、どこかの螺旋階段をいくつもいくつも降りながら、異世界へと、時空間を戻っていった。

 

過去生

 

降り立ったのは、おそらく平城京と思う建物の前。

周辺には誰もいない。

その時代のわたしは男性だった。

 

そこでみた映像は、病や飢餓で苦しむ人びと。

病は疫病らしく、広く蔓延していた。

あとから調べてみれば、天平の疫病の大流行のことだったのだろう。

 

その時代のわたしは、疫病で苦しむ人びとを助けるための薬を作ろうとしていた。

しかし、それには知識が足りず、それらの情報が載っているとされる本を盗むために、内裏の書庫なのか? 時の権力者藤原氏の書庫なのか? 盗みに入った。

だが、藤原氏の私兵に知られることになり、なんとか脱出し、場所は定かではないが、どこかの山の麓にある寺なのか、神社なのか? 身を寄せた。

あるとき、そこに友人が訪ねてきた。

間もなく、友人のあとを追うように、藤原氏の兵がわたしを捕えるためにやってきた。

戦うほど腕力に自信があったわけではないが、なんとか追っ手から逃げようと、もみ合い、小競り合いが続く。

その最中、友人が巻き添いになり、斬られ、井戸へと落ちていった。

わたしも井戸へ落とされそうになったが、どこをどのようにして逃れたのか分からないが、身を寄せていた寺か、神社か、その後方にある山へと逃げ延びた。

だが、見つかれば捕まる身。

ようよう山から下りることはできず、山神を祀っていたのだろうか? 山中にある小さなお社に隠れ、息を殺すようにして生きていた。

恐れと寂しさを紛らわすため、お酒を飲み、結局、ひとり寂しく社のなかで死んでいくという終焉を迎えた。

ところであとから疑問に思ったのが、お酒はどうやって調達したのだろうか?

買いに行くには、山から下りなければならない。危険がある。

ならば、山神に備えられたものを頂戴していたのか? それの方が合点がいく。

はたまた助けてくれるひとが他にもあったのかもしれない。

 

ヒプノセラピーでみた場面はそれで終わり。

残ったのは、亡くなった友人への罪悪感と自分が生きたまま井戸へ突き落とされたらどうしようという恐怖。

さらに、山中のお社で過ごしたときの寂しさとお酒を飲みすぎたことへの後悔の念。

主訴としてあげた閉所恐怖症気味についてその時は、「井戸」にまつわることなのではないかと想像した。

 

映像をみた、理解もした。

でも、その時のことは、脳裏に焼きついたというか、あとあとまでこころに引っかかっていた。

再体験した過去生のこと、潜在意識の扉が開き、隠れていた感情・幽界にあるエネルギーがどっと流れこんできた。

顕在化された恐れ・寂しさ・罪悪感・・今生でも抱きがちな感情・感覚だ。

 

カウンセラーなら当たり前のことだが、

事柄と感情・感覚は違う。

事柄をとうとうと述べていても、変容へとつながるエネルギーの解放には至らない。

手放す必要があるのは、幽界へとつながるエネルギー。

個々人が幽体へ保持し、過去生から運んできたエネルギー。

それは、感覚・感情によって、「いま」に現れる。

 

だが、その当時は、「過去生」が「今生」に影響していることも、幽界にあるエネルギーのことも、それが時空を超え、「いま」を形つくるとは思ってもみなかった。

分離感。

 

過去生で解放されなかったエネルギーが、「いま」にやってきている。

それに気づかず、「いま」に生きづらさ、うまくいかなさ、健康不安を感じる。

実際に、病気になったり、人間関係や仕事の滞りなどがおきているかもしれない。

 

例えば、閉所恐怖症を例にあげるなら、

いまは、混んでいる電車やエレベーターがなんとなく苦手だな〜と思っている。

1300年ほど前は、殺される恐怖や友人への罪悪感、さらには時代の閉塞感とともにあったかもしれない。

さらに、2000年以上前になると、もっと違った閉塞感があったことだろう。

さらに、さらに、ファラオとともに生きたままピラミッドへ納められたからかもしれない。

さらに、さらに、さらに、とどのつまりは、地球という超えられざる輪のなかで、車輪を動かし始めた時が最初だったかもしれない。

 

分離感から派生した重苦しいエネルギーが、転生のたびに少しずつ解放され、いまとなっては、古びたエレベーターが居心地悪いとか、混んだ電車は苦手ね〜程度で済んでいるのかもしれない。

 

その後、ヒプノセラピーでみた過去生を書き換え、抱え込んでいた重いエネルギーを解放した。

 

身を隠していた山神のお社で寂しく死んでゆくのではなく、生きたままお社を出て、山のうえへうえへと登っていく。

その道は、樹々たち。小鳥たち、陽の光に祝福されるものになった。

この書き換えは、7〜8年前に行っていたのだが、実際、いま、神旅などではそのようになっている!

 

ガイドが過去生を知ることに導くのは、解放するエネルギーをみせるため。

それがホントウに自分自身の過去生なら、そのストーリーのなかに「いま」をカタチつくる「なにか」がある。

それは、個人的なものであり、家系的なもの、地域的なもの、人類共通、惑星・・小さなものから大きなものまで、解放するごとに魂とつなり、霊と一体となりいきることになる。

 

ところで薬師如来。

わたしにとって、それは魂の課題であり、惑星における導き手である。

 

 

 

この記事を書き始めて間もなく。

実家の菩提寺、母の一族が眠る場所は、わたしが通った幼稚園のある場所だ。

母の墓参りのとき、視線の先にイチョウの木。

わたしが小さい頃からあるよな〜などと思いながら、線香を手向けていたら、強く呼ばれているように思えた。

 

それから2日後。

改めてイチョウの木に会いに行った。

 

 

イチョウのそばにはお堂があるのだが、そこに氣が向く。

幼稚園の頃や、年に1回のお祭りのときに、お堂の辺りに来ていたが、それから何十年とご無沙汰だった。

いまだからこそ、このお堂はなに?と、思いつつご挨拶をしてみると、

そこにあったのは、

 

「薬師如来」

 

そらそうだ!

この地は薬師如来と縁が深い!

 

 

あまりにも身近すぎると、案外、みえないことがある。

幼稚園モードと神旅モードをシンクロさせ、写真を撮ってみると、お堂の上部に光のオーラが現れた!

 

 

小さい頃から、見守り、導き、試し、叱咤も激励もしてくれる神スピリット!

これまで、時に一歩先を歩き、時に一体となり、共にあった。