この世なくして、あの世はない(映画「空海」より) それでも生きて行こう

2018.11.15  Chikako Natsui
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この世無くして、

あの世はない。(映画「空海」より)

 

「即身成仏」
真言密教における、即身成仏は「生きた人間が現世に存在しながら、異次元の大日如来と結合して仏となる」という意味である。(ウィキペディアより)

 

この世が生きにくい、辛い、苦しいとなると、ひとは違う人間になりたい。
天国のような世界があって、そこを生きたい!と、思いがち。

スピリチュアルな世界だけを求めるのにありがちな思想だ。

しかし、ひとは霊界人でありながら、現界人でもある。

この世界で様々なことを経験するために、輪廻転生を繰り返している。
その都度都度の生を経験し、自分自身をマスターし、魂も役割と目的を果たすために。

そして心身魂を整え、大いなる宇宙との聖なるコードにつながり、いずれはそこへ還っていく。

しかし、あまりにも現界での経験が苦しすぎると、霊界だけを求めてしまうことが多々ある。
スピリチュアルな世界だけを求めすぎてしまう。

それはあまりにも無謀すぎる。

現界と霊界は常にリンクしている。
現界の経験が霊界情報を書き換えられ、次の転生に反映される。

逆にこの世界の二極化に慣らされて、肉体のある自分だけしか見えないと、今度は魂の成長が止まる。

 

冒頭の言葉。これは映画「空海」での一場面。

疫病で苦しみ瀕死の村人が空海に言う。

村人 「どうか、楽にしてください。この世に生きておっても苦しいことばかりです。どうか楽にさせてください」

空海 「この世で成仏できなくて、どうして死んで成仏できよう」
※成仏  肉身のままで究極の悟りを開くこと。

村人 「この世で成仏などできるわけがありません」

空海 「生きているうちに父母よりもらった身体のあるうちに幸せにならんで、なんでひとは救われよう」

村人 「この世はあまりにも苦しすぎます」

空海 「この世無くして、あの世はない。この世を逃げて、あの世はないのだ。この世で生きながら仏となれ、幸せを掴め。成仏するのだ」

村人 「そんなことができるのでしょうか?」

空海 「生きる力を呼ぶのだ、生きる力を呼び起こし、生きる力に触れるのだ。この天地、宇宙が生きている、この身体に生きる力と同じだ。手を合わせるのだ。風が吹くように、光が射すように、心の中に風を呼び起こせ、光を放て」

 

 

ひとのうちには、神性、仏生が宿る。
ひとは神の一部であり、仏の一部。そしてそれは、大いなる宇宙の一部である。

神仏へ手を合わせ祈るとき、それは内なる神性、仏生の声に耳を傾けること。
すなわち大いなる宇宙とつながること。

 

どんなに生きづらい世の中であっても、苦しい日常であっても、この世界に生まれたのには訳がある。

様々なセッションをさせていただき、思うのは、皆さん、「生き方が美しい」。
いろんなことを抱えた人生、生きづらい、苦しい、泣いた夜も一度や二度ではないだろう。
でも、生きることに貪欲で、幸せになることに貪欲で、その姿が美しい。
生まれてきた意味、生きつづけている意味を探し、自分ってなんだろう?そんなことを考えつづけた人生かもしれない。
誰かの役に立ちたくて、でも、傷つくのが怖くてひとに近付けなかったり。
魂の目的とは真逆な人生を送ってきたかもしれない。

 

しかし、時代が変わり、地球の浄化が始まった。アセンションが少しずつ少しずつ始まった。

宇宙ソウル。転機を迎えた魂たちは、ちょっとずつ目覚め始めた。

しかし、まだまだ人間的思考、感情に翻弄され、人生の混乱の最中にあることも少なくない。

 

それでも、自分を、自分の人生を見続けるその姿に、感動する。
そして、生まれてきたからには、この世界を幸せに生きたい、使命を全うしたいという思いが強く伝わってくる。

自分を見つめるということは、自分をマスターする作業。
それこそが魂が輪廻転生する大きな目的であり、大いなる宇宙の聖なるコードにつながる始めの一歩だろう。

今が苦しくても、悲しくても、ジタバタしながらでも、今生の自分を生き、経験し続ける。

 

スピリチュアルという夢のような、特別な世界はない。
現界と霊界がつながっている。こっちの世界とあっちの世界はつながっている。

それをつなげるのは「ひとそのもの」。
心身魂、ボデイマインドスピリットを整えることで、大いなる宇宙の聖なるコードにつながる。

 

さて、あらゆるセッションで想うのは、その時間、その瞬間、私は、目の前の魂の、
伴走者であること、
ソウルファミリーであり、
ソウルメイトであり、
親友であり、
姉であり、妹であるということ。

そう常に想っている。

 

「生きる力を呼び起こし、生きる力に触れるのだ」(映画「空海」より)