幸せになるには? cosmic connectのブログ vol.19

2017.10.20  Chikako Natsui
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今日は、とある講座にでていた。

選ぶ仕事というのも、自分自身を表すものだな~とつくづく思いながら、家路についた。

そして、今日経験した出来事と、夕方の帰宅途中の空気感で、ふと、母が亡くなった時の記憶が
蘇った。

すでに、7年という月日が経っているのに、段々と秋が深まり始めた今頃の空気を少し体が
覚えているようだ。

人間の記憶というか脳はすごいな。
前に勤めていた会社で母が心筋梗塞になって入院したと父から連絡を受けた。
何度も入退院と手術を繰り返していたので、「ああ、またか」ということが多かったのだが、
「心筋梗塞」という言葉が強烈だったのか、心の中で「今回は、無理かな」と、母の死を悟っていた。
だから、それからの何日間かは、手の施しようがない母を見舞いながら、その死を待つ時間を過ごした。
その時の空気感を脳が覚えていて、この季節になると、ふと思い出す。

母を亡くした時のショックや母と私の関係についてのワークは何度も何度もやったので、
それなりに手放し、成長過程においての母の呪縛からは解き放たれている。
生まれ変わったといっていいほどだ。

だが、当時を思い出して、まだ消えない記憶が一つだけある。

母を見舞った夜、父と二人で実家で食事をしていた。
父とのコミュニケーションは、母を介してが殆どだった。
だが、母がそういう状態な訳だから、母を介してという訳にも行かず、その日は、父と二人、
ポツリポツリと話をしながらの食事だった。

私がこの父を選んでこの世に誕生しただけあって、父は仏のことに詳しい。
その日も母の死を意識してか、何やら仏の話をしていた記憶がある。
亡くなって1週間経つと・・2週間経つと・・初七日になると・・と、話が進んでいった。
私は胃のあたりがざわざわしながら話を聞いていた。

食事も終わり、父はお風呂へ入ると言って居間を出た。
その部屋には私一人きり。
不思議な感覚に襲われた。
部屋がどんどん狭くなっていくような気がしたのだ。途端に息が苦しくなり、
さらに、目には見えない四角い枠で囲われたような気持ちになり、
その私を囲う枠はどんどん小さくなる。全くそんなはずは無いのに、
四角い箱に入ってしまい、息ができないような恐怖に襲われた。

「このままだと気が狂う」

そう思った。

「早くここから逃げなければ、私は気がおかしくなってしまう」

お風呂に入っている父に、「明日片付けなければならない仕事ができた」と嘘をつき、
その日最終の高速バスに乗って、横浜に戻った。

当時は、母の死を前に、私自身、気が動転してしまったと理解していたし、そうだと思う。
だが、脳の中の幽霊とでもいうのか、突然、四角い箱が出現して、私を閉じ込めようとする。
あれはなんだったのだろうか?
今はさらに理解が進み、最も近しい人間の「死」に直面して、
私の前世の記憶が蘇ったのだと思う。

それは、どこの国でのこと、どこの時代でのことか、生きたまま閉じ込められ、
埋められ、殉死させられた記憶が蘇った。
それは、エジプト時代のファラオの墓だったかもしれない。
中国の秦の始皇帝の墳墓だったかもしれない。古代日本での出来事だったかもしれない。

物理的な目に見える枠はもちろんだが、目には見えない枠も私は苦手だ。
社会枠、組織枠、定められたルール、マニュアル・・・。

それは、それとして、私が一つ悔いているのは、母の死を目の前にして、
父を一人残して逃げ帰ってきたことだ。そんなに孝行娘な訳でもないが、
それには、少し罪悪感が残っている。

人の死というものは、残された者にとって多かれ少なかれ変化をもたらす。

母のおまけみたいにして成長してきた私の人生にとって、母の死は大きな出来事だった。
土台がいきなり消えてしまった訳だからが、その上に乗っていた私はグラグラする。
当時、何が一番怖い?と、聞かれたら、「お母さんが死ぬこと」と答えただろう。

その出来事が現実となって私に突き付けられた。
それが、2010年。そして翌2011年は、東日本大震災。
何度か書いてきたが、私の実家は福島県いわき市。海側だ。

母を亡くして、まだちゃんと自分の足で立ち上がりきれない状態での大きな地震と津波、
原発事故は、私の土台をさらにグラグラさせた。
不安で頭の中が、おかしな妄想がぐるぐるする。

「お母さんが死んじゃって、またお父さんも逝っちゃったらどうしよう?」
「人が死ぬことは、怖い、怖い、怖いことだ。
なのに、またあの怖い思いをしなければならないのか?
それは、困った。また、あの思いをするのは、きつい・・・。
あんな風にならないように、私は早くしゃんとしなければならない。
お父さんだって年だし、いつまで生きれるか分からない。
だから私は気持ち的に早く自立しなくちゃ。お父さんが死んじゃった時に
あんなに怖い思いしないように、
自分の足でちゃんと立っていられるように」

そこから自分のために必死にワークした。母とちゃんとさよならして、
自分自身の人生を生き、自分の土台をしっかりするために。
自分の足で立ち始めた実感がもてだした頃、
他人の悲しみに寄り添える自分に気づいた。

自分を癒すことが、他人を癒すことにつながり、そして、さらに世界は広まり、どんどん変わっていった。

目の前の世界は自分が創りだす。

確かにそうだ。

だが、そこには、スピリットガイドが私をちゃんと守ってくれていたことも
今なら理解できる。

母が亡くなったのも必然。それは、母の魂とスピリット達の契約だ。

母の魂がスピリットの世界に戻ったとき、今度は私の人生がレールが音を立てて切り替えられた。

そのレールの音が響いたとき、私のスピリット達が歓喜する。

「ようやく目覚める準備が始まった」かと。

この世の中で経験することに一つも偶然はない。

全て必然だ。

スピリットガイドは、私が目覚めることをいまかいまかと待っていたのだ。

それが、母の死というのは、人間世界から見れば、なんとも複雑だ。
だが、それさえも、決まっていたストーリーだ。

人は何がきっかけで自分自身の人生を歩きだすか分からない。
それは悲しい出来事だったりする。

なぜなら、人はうまくいっている人生をあえて変えたいとは思わない。
辛いから、苦しいから。だから、なんとか変化を求めるのだ。

そこに気づかず、安穏と日々を過ごしていると、
「そろそろだぜ」と言わんだかりに、
変化するための津波が押し寄せる。

この世に生きている殆どの人は、生まれる前の魂の使命、契約を
忘れてしまっている。

自分が何をするために生まれてきたのかを。

そのために、四苦八苦しながら、うまくいかない人生を送っている人を
見かける。

もし、あなたがもっと幸せになりたいのなら、原点回帰、そもそもに戻ってみるのは
どうだろうか?

そんなに難しいことではない、怖いことではない。

だが、自分の魂のメッセージに耳を傾けてみることだ。

あなたの魂から贈られてくるメッセージはなんだろう?

あなたの魂はもっと輝きたいと言っていないだろうか?