エリザベートに考える 彷徨える魂 生き方が分からないスターシードへ cosmic connectのブログ vol.23

2017.11.12  Chikako Natsui
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ずっと考えていた。

自分はなんのために生まれたのだろうか?
自分の落ち着く場所、居場所はどこなのだろうかと。

他者と同じような生き方ができないことに、なんとなくの寂しさや劣等感、
後ろめたさを感じることもあった。

どうすれば、幸せそうに笑っているあの人たちと同じように生きることが
できるのだろうか?

そんなことを考えたこともあった。

でも、彼らが求めるもの、興味をもつもの、欲するものを私は必要とせず、
なぜ、それが面白くて笑っているのかが全く分からないこともあった。
みんなが笑っているから、今が笑いどきか?と、無理やり合わせ、
とりあえず楽しげに振る舞うときもあった。そんな自分が嫌いというか、
面倒だと思うこともあった。

それが日常化し、自分なりの対人コミュニケーションスタイルを作り上げ、
社会の中で居場所を作るためには「これでいいはず」
「これで合ってるはず」と思いながら生きてきた。

社会性のある自分を演じることに努力した。

だが、・・・常に違和感を感じていて、楽しくもないことに笑ったり、
一生懸命にみせたりして、20代の頃は人と会った後はどっと疲れてもいた。

そして、思う。

「何かが・・・違う・・・」と。

天の祝福 月うんとハートの雲

先日、宝塚歌劇団 宙組公演を観劇した。
この公演は、同組のトップスター朝夏まなとさんの退団公演。
大好きな朝夏さんが退団・・・ショック!

これまで観た朝夏さん主演の作品を思い浮かべながら、幕間の劇場内をウロつく。

見るともなしに見たフロアの隅に置かれているチラシスタンドに、
以前、朝夏さんが主演した演目「エリザベートー愛と死の輪舞(ロンド)ー」の
テレビ放映を知らせる冊子が置いてあった。

エリザベート・・・宝塚でも何度も再演されている、私も大好きな作品だ。
実在の人物オーストリア皇后エリザベートと死神の愛の話。

「愛と死」。
対局を表す内容と幻想的な演出にこころを奪われ、心酔し、長年見続けてきた作品だ。

実は、笑われるかもしれないが、エリザベート皇后の生き方に自分を投影していた。

この作品には何度か「魂」というフレーズがでてくるのだが、その場面にくるとその度に、
胸がぎゅっとしたり、切なくなったり、涙がでてくる。

私は言葉が好きだ。自分の内面を刺激し、異界へと導く言葉を愛する。

愛と死の輪舞 エリザベートの世界へ誘う。

⭐️エリザベート皇后が旅の途中、精神病院の慰問に訪れたとき、
患者の一人ヴィンディッシュ嬢とのやりとりがある。
そのときエリザベートが歌った歌詞のフレーズ。エリザベートの孤独に胸が痛くなった。

〜 もし代われるなら、代わってもいいのよ。私の孤独に耐えられるなら〜
あ〜あなたの魂は自由だわ。そうよ自由よ。あ〜 私の魂は旅を続けても束縛されたまま 〜

⭐️エリザベートとその息子ルドルフとのやりとりの歌の歌詞。

〜・・・この世界で安らげるいどころがないよ・・・〜

⭐️エリザベートと夫フランツ・ヨーゼフ1世のやりとり。

フランツ皇帝 「きみの居場所はどこなんだい?」


エリザベート「たどり着くところよ」

⭐️死神とフランツ・ヨーゼフ1世のやりとりで、死神が皇帝に言った歌詞。

〜・・エリザベートの魂、お前には救えない・・〜

魂が安らげる場所を終生探し求め、旅を続けていたエリザベートの苦悩と、
魂の記憶を思い出すことができずに生きていた自分自身を重ねていた。

お芝居の話なのにね。笑

入り込みすぎだよね。笑

それから、同時に死神との愛というのも、私の気持ちを揺さぶった。

「死」

私のテーマだと思って生きてきた。
心理やスピリチュアルのセッションでも何度かそれをテーマにしてワークをしたことがあった。

とあるヒーラーのセッションでは、「私は死が異常に怖いです」というと、
そのヒーラーから返ってきた言葉は「あなたは死を恐れてはいない。むしろ身近なはずよ」と
言われた。

それを聞いてギョッとした。確かに、死神、幽霊、妖怪の話は大好きだ。
でも、本当の「死」となると怖い・・・と、思っていた。

だが、自分の魂の約束を理解し始めている今は、私が今生で「死」に関わり、
宿命をもっていることを納得している。

「死」は、肉体的な意味の死と、象徴的な意味がある。
ユングが唱えた「ひとつの世界から他の世界への変容を意味し、
古い世界の秩序や組織の破壊」が象徴的な意味だ。

死=変容

転機を迎える人が私の周囲に集まってきやすいのは、それは私の宿命であったと理解した。
それはホロスコープにも表れている。

古いシステムや組織には我慢がならず、
これまでの会社人生でも、ときに反発したり、
上司とぶつかることも度々あったなと回想する。

過去生においても、いくつかの革命を経験している。

人は全てを選んで生まれてくる。
誕生日・親・名前・生きる環境・出会う人・経験する出来事。

生まれてきた意味は? 

答えるならば、それらを経験するためなのだろう。
この肉体をこころを精神を体験するために生まれてきた。
そして、それを単に体験するだけではなく、得た叡智を使って、
魂が約束した使命を果たすためではないか。

ではなぜ、人は魂の約束を忘れてしまうのか?

魂と肉体が直結して生きれるのであれば楽だろう。

実は、今生を歩むゆえで一番のキーポイントになる「こころ=マインド」が
右往左往するからだ。

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