フォースとともにあれ!スサノオからのメッセージ!  光は闇からうまれる 

2020.10.14  Chikako Natsui
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光は闇からうまれる

闇をしり

光をしる

 

光と闇が拮抗する場所

異界・霊的世界への入り口

 

ここだけの話かもしれない

どこにでもある話かもしれない

 

光が現れる

 

夜明け前

闇は濃く深くなる

 

アニメでも、ゲームでもなく・・・

 

リアルはそこにある

 

 

 

父が検査入院をするとのことで、10月頭から実家へ戻っていた。

連絡を受けたとき、父の身体の心配とは別に、あの家でひとりで過ごすことになるのか〜と、不安が湧きあがった。

産まれてこのかた、実家でひとりで夜を過ごしたことがない。

ひとり旅も平気だし、森のなかも山のなかもひとりで行くことができる。

だが、実家となると・・・。

前にも何度か記事にしているが、ずっとずーっと実家が居心地悪かった。

親がとか、誰がとか、ひとのせいではない。

得体の知れないエネルギーに怖さ、不安を感じていた。

夜は、特にそれがひどくなる。

しかし、歳を重ね、色々な経験をし、見てみないふりを覚え、気のせい!気のせい!と思うことにした。

また、恐れや不安は亡くなった母譲りだろうと、母との関係についてのワークを行い、取り込んでしまったネガティブなエネルギーの手放しを行った。

 

意識は、気のせい・気のせいから、大丈夫・大丈夫へと変わっていった。

母から取り込んだエネルギーは手放せたが、それ以外にも、やはり、なにか得体の知れないものを感じる・・・。

学びはひと的意識から、霊的意識へと移っていった頃、「土地のエネルギー」「土地のスピリット」「八百万」「精霊」たちの影響に気づき始めた。

 

そして、実家にひとりで夜を過ごすという学びがやってきた。

8月の帰省のとき、父のエネルギーはそう弱ってはいなかった。

これは予行練習なのだろう・・な、と、思った。

 

母が亡くなったとき、「死」というものに向き合った。

 

死はひとつのとびら、次のステージへ向かう橋。魂的には成長を意味するもの。

霊的な成長によって周波数が変わると、これまでの肉体では用をなさなくなる。
その肉体では学びが進まないとなれば、霊はその肉体を解放する。

それが死だ。

また、肉体に転生する前に設定した、この人生ではこれとあれとそれを経験し、学び、霊的成長をしましょう!の魂のスケジュールが終えたら、やはり霊は肉体を解放する。

次の学びへ向け、一時休息!

だが、ひと的意識で死をそんな風に捉えることは難しい。

 

身近な誰かが亡くなると、寂しさや悲しさ、後悔や罪悪感など、情緒的オプションがたくさんひっついてくるからだ。

くっついてくるというより、持ち続けているネガティブエネルギーとシンクロし、前の記憶が刺激され、そのとき感情が呼び起こされる。

 

死は、いまを支配し、とてつもない変化・変容・再生のエネルギーを内包している。とても神聖なものだ。

それゆえだろうか? 誰かの死がひとひとりの人生を大きく揺るがし、変化させる。

 

死を知って、生となる

闇を知って、光となる

 

統合

 

魂は必ずこのサイクルをやり過ごし、霊的成長を遂げていく。

それが大宇宙が示したルール。

 

光となる前、闇の時間。

それが実家でひとりで過ごす時間とはなんとも悩ましい。

 

だが、振り返れば、必要なレッスンであり、ジャストなタイミングなのだろう。

 

魂がそう設定したのなら、「そのとき」は必ずやってくる!

 

以前は、低位なスピリット 精霊にいたずらをされることもしばしばあったが、いまは波動もあがり、徐々に霊的な学び・成長をしてきているので、家のなかで、そういったスピリットに出くわすことも、驚かされることもなくなった。

しかし、それが無くなっても、なんだろう・・・この感じ・・・!?

言葉で表現することは難しいのだが、なにか、磁気的ものを感じる。

密封された部屋に入り、強い磁力的なエネルギーをじゃんじゃん浴びせられているようだ。

頭頂・眉間のチャクラが敏感に反応し、頭の中をエネルギーが通過していくような、頭をあっちからこっちから押さえつけられているような、そんな感覚だ。

頭頂のチャクラから入ったエネルギー。今度は喉のチャクラを刺激する。浄化され咳き込む。

そうかと思えば、地震か!?と思うほど、身体が小刻みに揺れる。地の脈動が振動となって身体にメッセージを伝えているのか。

どこかで経験したような、この感覚は・・・神社のある森のなか、山のなか、スピリットのエネルギーが強い自然のなかに身をおいた時と同じように思えた。

 

これまで不気味と思ってきたのは、自然のエネルギーが強すぎて、ひと的意識まっただ中にあるわたしにとっては異界すぎて、異質すぎて、馴染みがなさすぎて、恐怖に思えたのだろうか・・・。

そんなことを思う一方、あたまの中で「スサノオ」という言葉が反芻する。この数日、スサノオに思いを馳せることが度々あった。

そんな中での瞑想。

 

その時、あらゆることがシンクロし始めた・・・。

映像・言葉・文字が浮かんだり、響いたり、走馬灯というのはこのことだと思えるほど、魂はみせる。教える。

 

龍脈

龍穴

閼伽井嶽

薬師如来

スサノオ

権現堂

幼稚園

日枝神社

 

わたしの実家は、龍脈のうえにあった。もしかすると龍穴ともいえる場所なのかもしれない。

よく見てみれば、地図にもそれが現れている。

これまで当たり前すぎて、意識にあがってこなかったが、この先には東北霊場のひとつであり、聖山ともされる「閼伽井嶽薬師」がある。

通称水石山の中腹にあるのが水晶山玉蔵院常福寺。地元では閼伽井嶽(あかいだけ)と呼ばれている。

さらに今回、水石山とは正式には水晶山だと初めて知った!

 

閼伽井嶽薬師を抱く水晶山から流れ落ちた氣は、わたしの実家を超え、日枝神社・八坂神社などの氏神を経て、白水阿弥陀堂から湯の岳へと流れていく。

 

小学校何年生の頃からだろうか。父に連れられ、大晦日から元旦にかけて閼伽井嶽薬師で過ごすのが恒例だった。

紅白歌合戦が終わったのを合図に、閼伽井嶽の麓まで車で行き、そこから七曲りと呼ばれる暗く険しい山道を歩いて閼伽井嶽薬師を目指す。

最初は父と、中学生になってはそこに同級生たちも加わり、いわゆる元朝参りは高校卒業の年まで続いた。

 

いまもあっちこっちと神旅で山や森を歩き続けるのは、ここから始まっていたのだろう。

 

閼伽井嶽薬師常福寺

天平6年、東北地方に大地震有り。

次いで疫病が流行し、病に倒れるものその盧舎を壞り、圧死するもの日夜相次ぎ惨状目もあてられず、大和国鷲峰山の住僧源観上人遙かにこの悲報を聞き座視するに忍びず。

善無畏三蔵伝来の秘仏たる薬師如来を護持して険を冒し難を凌ぎ当地に至り剣が嶺に上り草堂を営み尊像を安置し、三七日間精魂を傾け丹精を抽んでて祈願を凝らしたる霊験空しからず、さしもの疫病も終熄するに及び、上人錫を巡らし大和に帰らんと尊像を霊龕に蔵めんとす。(常福寺HPより)

 

龍脈、レイライン・・ということは、閼伽井に龍エネルギーを強く感じられるのだろうか?

調べてみると、あった! 龍が!

 

あかいだけ薬師には、龍燈杉がある。

龍燈とは主に龍神の住処といわれる海や河川の淵から現れる怪火であり、龍神が灯す火とされ、古来古来より神聖視されている。

昔、赤井村の若者が、村の娘と結婚したくて、薬師如来に願い出ました。しかしその若者は龍の化身でした。それを知っていた薬師如来は、結婚を許しませんでした。
仕方なく若者は、娘を奪って竜宮城へ連れていってしまいました。
竜宮城のお姫様となった娘でしたが、身ごもると難産で苦しみ、龍が薬師如来に救いを求めと、薬師如来は見るに見かねて安産を叶えてくれました。龍はお礼に、毎晩、「龍燈」を薬師如来に捧げました。
その時の龍燈は、四倉の仁井田浦から、常福寺に達すると、この杉の側で一段と輝きを増し本堂にはいいていったそうです。
(スパリゾードハワイアンズHPより)

 

そして薬師如来とは、牛頭天王=スサノオの本地仏だ。

 

本地仏とは?
仏教が興隆した時代に発生した神仏習合思想の一つで、日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えである。

本来の境地やあり方のことで、垂迹とは、迹(あと)を垂れるという意味で、神仏が現れることを言う。究極の本地は、宇宙の真理そのものである法身であるとし、これを本地法身(ほんちほっしん)という。また権現の権とは「権大納言」などと同じく「臨時の」「仮の」という意味で、仏が神の形を取って仮に現れたことを示す。

 

牛頭天王は、平安京の祇園社の祭神であるところから祇園天神とも称され、平安時代から行疫神として崇め信じられてきたが、御霊信仰の影響から当初は御霊を鎮めるために祭り、やがて平安末期には疫病神を鎮め退散させるために花笠や山鉾を出して市中を練り歩いて鎮祭するようになった。これが京都の祇園祭の起源である

これについて、当時は疫病は異国からの伝染と考えて、異国由来の疫病神として牛頭天王を祀る由来となったと考える立場もある
いずれにせよ、牛頭天王は、子の八王子権現や眷属とともに疫病を司る神とされたのである

以上、ウィキペディアより

 

7月に訪れた京都の八坂神社の映像が浮かぶ。

 

さらに、

 

「権現」

 

この言葉がまた記憶をよびおこした。

わたしが小学生の頃まで、実家の住所は「権現堂」と付いていた。

理由は分からないが、いつからか住所が変わったのだ。

ちなみに、権現堂とは、権現を祀る神社・堂の名前。

権現とは先述のとおり、日本の神の神号の一つ。日本の神々を仏教の仏や菩薩が仮の姿で現れたものとする本地垂迹思想による神号である。
(ウィキペディアより)

 

地名とは、その地の役割をあらわす。

はるか昔、むかーし、そこには、閼伽井嶽まで参拝登山をしたくてもできない村人たちが祈るためのお堂があった場所なのかもしれない。

気づけばわたしの実家がある場所は、閼伽井嶽薬師・その流れを組む薬師如来をご本尊とする真言宗のお寺と日枝神社の護る三角地帯にある。

真言宗のお寺は実家の母を始めとした一族が眠り、わたしの幼稚園でもあった。

 

しかし、土地の名前が変わった。それによって土地のエネルギーが変わった。

これは大宇宙の法則からするなら、とても大きなことだ。

言葉は数字で表され、数字は宇宙一切を表す。

聖なるエネルギーラインに変更が生じれば、大宇宙からのエネルギーがその地に降りなくなる。

 

だが思うに、その地の波動が変わり、地のスピリットの役割が変わり、地名が変わったのかもしれない。

エネルギーラインが変わったのは、ずいぶん前の話なのかもしれない。

 

 

わたしが生まれる以前、この辺りは炭鉱で栄え、実家の場所は、その労働者が住む長屋だったらしい。

 

ときの流れの必然なのか。

神仏の権化する地が黒いダイヤモンドの場所へと変わっていったのだろうか。

 

ひとが願い、想念はその地にある小さな八百万・精霊たちを動かし、応えさせる。

 

リアル・もののけ姫!が展開される。

 

山は切り崩され、川の流れさえ変えられた。

街は作られ、人びとが潤う。

 

しかしそれもまた悠久のときの一瞬のこと。

移ろいはやってきた。

明治に始まった炭鉱は大正と続き、昭和の半ばで閉山となった。

その間、炭鉱事故もあり命を落とすひとも大勢いたと聞く。

 

山は閉じられ、街は静かになった。

 

だが、その地が背負ったカルマは重く大きい。

 

地にあるスピリットは進化の途上にあり、ある意味誰もが修行中!

白の道なら大宇宙への道は近くなり、黒の道ならはるか遠くなる。

 

地球を嘆きの惑星というなら、この地もまさに嘆きの土地といえるのではないだろうか。

土地のエネルギーが低下すれば、当然その地に住まうひとへも影響する。

 

そこでなにが起きたのか? そういった土地に引き寄せられ、住まう人びとにどのように影響をおよぼすのか。

言葉で表現するのが難しい。複雑で過酷な事象もあり、それを書きつらねることはやめておこう。

 

わたしが幼い頃から感じていた恐れや不安。この地が放つ不調和なエネルギーが主なるものなのだろう。

敏感体質、霊的体質、加えてグラウディングができていない状態なら、確実にそういったエネルギーに弄ばれ、さらなる精神的不安を引き寄せる。

そこから肉体的・精神疾患を引き起こし、悪循環な人生になりやすい。

 

ひとの不調和エネルギーが自然界のスピリットに影響し、さらに悲惨な結果を引き起こす。

その体感がひとのうちの不調和を増大させ、ひとの世界に影響を与える。そのエネルギーがまた自然界のスピリットに・・・

地とひと。スピリット間の悪循環は続いていく。

 

わたしがずっと感じていた恐れや不安の元はそこにあった。

とくに夜中にかけては、ネガティブエネルギーがこの地を覆いかぶさっているのではないかと思うほどだ。

不穏なエネルギーがこの地のスピリットを支配し、そこここを歩かせる。

夜中の緊張。なにがのっている訳ではないなの、寝ていても急に胸元が重くなり、息が苦しくなる。

なんの攻防戦なのだろう? わたしはなにと戦い、勝ったり負けたり、まんじりともしない多くの夜を過ごしていたのだろうか。

 

だが、以前は怖いばかりだったが、今回、ひとり、夜中にそれらと向き合うことで、いろんなことを理解した。

だからといって、この地のスピリットをすべて掌握したとか、仲良くできるようになった訳ではない。

まだ調和に至っていない。

 

黒いエネルギーに支配された地のスピリット。かなり手強い。

 

 

光と闇

 

縁がなければその地に命は授からない。

必要がなければその地に転生しない。

 

光がないから光が必要で、闇だからこそ光が必要で、

光を媒介するスピリットは闇を選び、転生する。

 

しかし、あまりにも闇が多きすぎて、戦っても確実に負けそうなら、そのスピリットの霊的成長がなされるまで目醒めはやってこない。

知らぬ存ぜぬ。守護霊やグループソウルに見守られながら、ひととして生き、様々な経験と学びを通し、魂の光を強く大きくしていく。

霊的成長がなされていくと、そろそろイケるかな?と、試しのような出来事が人生に起き始める。

 

わたしもそうだった。

人生前半ならひととしても霊的にもひ弱かった。

 

惑星にはびこる見えざる闇に向き合うなら、自分のうちの闇はとことん失くす必要があった。

ひととして自分軸ができ、エネルギーが強まり、そして、霊的成長がなされ、もっともコアな霊の目的がみえてくる。

 

闇をみずして、大宇宙の目的を果たすことはできない。

地球へ奉仕することができない。

 

光に憧れる必要はない。

自分が光なのだから。

 

だが、実際には、闇に溺れる宇宙ソウルも多いことだろう。

魂を活きることができず、命の意味が分からない。

 

魂の目的によって、嘆きの地に生まれてしまったけれど、不安で怖くて、意味不明な感覚に付きまとわれるように生きているというスピリットもいるのではないだろうか?

とにもかくにも、まずは内なる光を強くすることが大事だ!

 

ところで、龍脈はすべて強い氣が流れているわけではないと理解した。

土地にまつわる因縁によっては、氣は流れない。大宇宙からのエネルギーラインが途絶えてしまう。

地のエネルギーは弱まり、その地に住まう人々にも影響をおよぼす。

 

その地を守るスピリットがある神社のご神木は、その地の氣がどのような状態になっているのかを如実に表している。

スピリットのエネルギーの状態を表現する。