ライトワーク🌟 霊山は大宇宙の秘密を隠す 宇宙元旦 春分の日🌸 大いなる神霊が選び許す そこに分けいる魂を!   大山・神奈川  その2

2022.3.27  Chikako Natsui
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日出るところにある

神秘の島

太陽をいただく民たち

 

大いなる山の神霊が選び、許す

そこにわけ入る魂を

 

 

2022年 春分の日のライトワークは、神奈川県にある大山へ。

 

 

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ライトワーク🌟 霊山は大宇宙の秘密を隠す 宇宙元旦 春分の日は🌸大いなる神霊鎮まる山へ   大山・神奈川  その1

 

混雑した山頂を早々に後にし、大山阿夫利神社 下社を目指した。

 

山を歩く、山に登る。

その目的や楽しみ方は、人それぞれ。

「そこに山があるから」

そんな名言もある。

 

そして、わたしが思ったのは、山を歩くとは「人生」そのものだ。

大きく意識を広げるなら、魂が車輪を回し続けることも同じだ。

石の螺旋階段を辟易しながら、雲をつかむように、あるような無いような目的で頂上を目指していく。

階段の踊り場のようなところは、そこここ景色は違い、上に登るほど視野が広がっていく。

転びたくはないと思い、手をついたり尻をついたり、様々な力にもサポートされ、歩き続ける。

自分の足で歩き続ける。

 

修験の道に入る者は、山中で厳しい修行を行う。

霊山・聖山にある神々や精霊に助けられながら、内なる自己と向き合う。

そういった御山に魅かれるのは、修験道にあった過去生があったのかもしれない。
さらに属するグループスピリットの導き、影響がある。

考えてみれば、魂は転生を繰り返し、経験と学びをする。

ということは、誰もが人生という修験の道を歩いていることにもなる訳だ。

意識の向けた方によって、日常が霊性を高める道になる。

 

どちらにしても、その道を極めていくには、一方では悟り、一方では、気づきに気づきを重ね、エネルギーの変性を経て変容といわれる状態まで意識を拡大していく。

どの道を歩くのかは、それぞれ!

 

大山ライトワーク。

 

私は、

上りでは、呼吸と肉体の疲れを気にしていた。

下りでは、滑らないよう、より一層足元に注意を向けていることに気づく。

 

思うことがあった。

観察して、ここに足を置いたら安全そうだ、歩きやすそうだと一歩を置いたところは、目測が誤ったようで、滑ったり、不安定になったり、体のバランスを崩したりする。

自然と体が向く方、動く方へ行くと、少々遠回りになっても安全に安定してテンポよく下山できる。ある瞬間、自分のエネルギーだけでは無いようにも感じられた。

誰かが体ごと引っ張って行ってくれているような、そんな感覚になった。

その違いを後から振り返ってみると、観察して動いていた方は、自分でも気づかないほどの隙間に思考が動き、エネルギー体と肉体とかい離する。

瞬間、動きがチグハグする。足に力が入らない。そしてバランスを崩す。

自然と体が動いた時は、実はこれ、表現が難しい。

そうなったとしか言いようがない。

 

実は、今回のライトワークの前から、肉体の課題がやってくるだろうと思っていた。

 

魂と私がつながるなら、

魂を介し、霊(グループスピリット)がやってくる。

霊(グループスピリット)は、私の心身・精神と結びつき、この世界に現れる。

 

幽界にある重いエネルギーを解放し、思考と感情はそれなりに制御できるようになっていた。

私ではあって、私ではない。私ではないが、私であるものの意識で日常にあった。

 

霊性・スピリチュアルの本質が腑に落ちていないと、低位のサイキック能力と混同してしまうかもしれない。

波動の低い状態で見えたもの、感じたものを高い次元のものとコンタクトしたと勘違いしてしまうかもしれない。

憑依されていることを、神に選ばれたと勘違いしてしまう。

 

大宇宙の目的のため、高い次元にあるグループスピリットは、肉体をもって転生したスピリットを導管として、この世界に現れる。

思考・感情、感覚を明け渡し、グループスピリットである。

そう言うと、支配され、コントロールされているかのようだが、決してそうではない。

以前なら、私は「赤」と思うが、高い次元の存在が「オレンジ」というから、「オレンジ」としておくか。そこには少々距離があった。直感なのか、どこかで仕入れた情報なのか? 分からない。

モヤモヤと、いくばくかの葛藤が生じることもあった。

やがて、上と下の距離が無くなる。

 

思考と感情、いい感じ!

しかし、身体のつかい方がうまく無い。

生まれてからずっと、何かと何かがギクシャクギクシャク、上手に作動できない。

おかしな表現かもしれないが、上が下をうまくつかえない。身体を使いこなせない。

言い方を変えるなら、魂と肉体のつながりを思考が阻んでいるようだ。

 

思考は過去の経験や得た知識など、私の内外にある情報から構成される。

自分は健康体ではないと小さい頃から思い込んでいた。運動など活発に体を動かすことがなく、それが運動神経が発達しなかった一要因でもあろう。

 

身体を手放す。

 

聴こえてきたのはそれだった。

物騒にもきこえるが、思考と感情と同じように、身体を高い次元にあるグループスピリットに委ねる。

 

大山を歩いているのは、私であって、私ではない。私ではないが、私である。

思考で歩くのではない、霊(グループスピリット)が歩いている。

 

これも後からの振り返り。

 

身体を委ねるなら、大いなる山の神霊のエネルギーが入ってくる。

日常に戻っても、それは継続される。

私が私に安心感を感じる。

 

神霊に出会う

シンクロする

そのエネルギーをいただく。

 

外にあった八百万のエネルギーは、

私のエネルギーに溶け、産霊(ムスヒ)がなされる。

 

そして、霊(グループスピリット)は、魂を介し、精神・心身を動かす。

 

人生は、それが正しく行われるためのエクササイズでもあろう。

 

さて、人生をギュッと縮尺したような今回の大山ライトワーク!

大いなる山の神霊のふところでは、様々な体験を通し、魂の成長・霊的進化がなされる。

 

上りの時は雲が多めだった空に、太陽が顔を出し始めた。

すると、天の氣は樹を媒介にし、大きくなり、地の氣と結びつく。

ライトワークの道程では、参加者様はそれを行う。

さらにフォースを大きく、拡散される。

それは御山の中だけに止まらず、それぞれの日常へと運ばれていく。

 

 

陽が射す。

光が溢れる。

御山の真の姿が現れる。

 

スピリットとスピリットのシンクロニシティ。

 

 

 

 

登りには氣が向くことがなかった夫婦杉。

樹齢500年を超している。

 

 

あっちこっちと氣が向くものの、下りは早い。

石の螺旋階段を駆け下りる。

 

間もなく下社というところに、先にも参った白山神社。

登りの時には太陽が射していなかったので、下りのこの時とは様相が違う。

 

 

 

 

さて、ようよう下社へ到着。

 

早速、人的活動再開!

パワーチャージ。

下社近くにあるカフェへ。

注文したのは、ヴィーガンカレー。

大山に見立てた三角のご飯が洒落ている。

 

お腹は満たされ、話も弾み、そのうち疲れが少しずつ癒えてくる。

逆に、じわじわと筋肉痛が始まる。

 

 

筋肉が固まらないうちに、次に予定していた大山寺へ向かうことにした。

 

すでに夕方近くになっていたので、徒歩で向かうことは断念。
ケーブルカーに乗ることにした。

 

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大山寺

神奈川県伊勢原市にある真言宗大覚寺派の寺院である。大山不動の通称で知られる。山号は雨降山(あぶりさん)。本尊は不動明王。開基(創立者)は良弁と伝える。

高幡山金剛寺、成田山新勝寺と共にしばしば「関東の三大不動」に数えられ、江戸期には江戸近郊の観光地として賑わい、落語にも「百人坊主」として題材に取り上げられるほど、広く一般に浸透した。

(Wikipediaより)

 

 

時間も遅いからか、境内はひっそりとしていた。

 

 

 

山号は雨降山といわれるように、水の氣との関わりが強い。

それを現すように、境内には龍神が複数祀られている。

 

 

大きな水の氣があるところには、必ずといっていいほど「不動明王」がお祀りされている。

 

不動明王は、火の氣を操る。

水の氣と火の氣。

バランスと調和。

 

 

古来、山には様々な神霊が宿るとされている。

 

山霊(さんれい)は、山に宿るとされる神霊の総称。

古来日本の山の多くは山岳信仰の対象として聖なる山として祀られており、そうして山には様々な神々や霊が宿るとされていた。
また山は霊界に最も近いところとも言われ、死者の霊が集うとも言われていた。そうした神々や霊の総称を山霊と呼ぶ。(Wikipediaより)

 

 

大いなる山の神霊が選び、許す

そこにわけ入る魂を

 

神霊に出会う

シンクロする

そのエネルギーをいただく。

 

準備がなされた魂から、それは行われる。

準備がなされた魂から、大宇宙の計画を知ることになる。

 

霊山は、大宇宙の秘密を隠す。