【祈り】アラハバキ神の導き!? 太古の海に想いを馳せる ここは大海神のテリトリー!  洲崎神社・千葉

2022.1.14  Chikako Natsui
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洲崎神社

 

ご祭神

天比理乃咩命 安房神社祭神天太玉命の后神で、元の名を「洲ノ神(すさきのかみ)」と称する。

 

また『金丸家累代鑑』(慶長2年(1597年))に「安房郡洲宮村魚尾山に鎮座する洲宮后神社は、後に洲宮明神と称し、それを奥殿とし二ノ宮と曰う。また、洲崎村手洗山に洲崎明神あり、これを拝殿とし、一宮と曰う」とあることから、洲崎神社と洲宮神社は「洲の神」を祀る2社一体の神社で、洲崎神社が「洲の神」を祀る一宮、洲宮神社が「洲の神」を祀る二宮とされたとする説がある

 

大同2年(807年)の『古語拾遺』によれば、神武天皇元年に神武天皇の命を受けた天富命が肥沃な土地を求めて阿波国へ上陸し、そこを開拓した。その後、さらに肥沃な土地を求めて阿波忌部氏の一部を率い房総半島に上陸したとされている。宝暦3年(1753年)に成立した洲崎神社の社伝『洲崎大明神由緒旧記』によれば、神武天皇の治世、天富命が祖母神の天比理乃咩命が持っていた鏡を神体として、美多良洲山(御手洗山)に祀ったのが洲崎神社の始まりであるという。

また、『安房忌部家系之図』や『斎部宿禰本系帳』には、天富命15代目の子孫である佐賀斯の第2子・色弗が初めて祖神天太玉命の后神を祀ったとの記述がある。『安房忌部家系之図』や『斎部宿禰本系帳』では色弗の兄の第4子・加奈万呂が安房神社第22代祠官として勝義と改名し、勝浦崎(洲崎)に仮宮を作って天比理刀咩命を祀ったとしている。このことから、色弗が初めて祀った斎場は大和国で、加奈万呂が勝浦崎(洲崎)に仮宮を作った養老4年(720年)7月が洲崎神社の創祀とする説もある

洲崎神社社伝によれば、養老元年(717年)大地変のため境内の鐘ヶ池が埋まり、地底の鐘を守っていた大蛇が災いしたので役小角が7日7夜の祈祷を行い、明神のご神託により大蛇を退治して災厄を除いたのだという。また、役小角が海上安全のため浜鳥居前の海岸と横須賀の安房口神社に御神石を1つずつ置いたなど、洲崎神社には修験道の開祖である役小角にまつわる伝承が多くある。これより、洲崎神社が古くから神仏習合思想や修験道の影響を強く受けていたことを物語っているとされる

(以上、Wikipediaより)

 

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千葉県館山にある安房神社の次に参ったのは、洲崎神社。

なんと、こちらも一の宮。

 

安房神社同様、ここでも他に参拝する人はおらず。

そのためか、この地の根のパワーを感じる。

 

太古の祈り。

 

ここもまた、昔は海だった。

気づいてみれば、むか〜し、昔、その昔、日本列島があった場所は海なわけで、特に東日本が今の地形になったのは、地球の歴史でみてみれば、ごく最近のこと。

ここは大海神のテリトリー!

 

さて、鳥居をくぐり、誰もいない境内へ。

 

 

 

視線の先に、長い階段!

神旅では見慣れた光景。

 

なぜなら、洲崎神社。

 

社殿は御手洗山の中腹にある。御手洗山は古代から斧を入れたことのない自然林であるが、御神体山として古代信仰の聖域となっていたからで、極相林の典型的なものとして千葉県天然記念物に指定されている。神域であるから自然林が保存されてきた。高い石段を登って行くと社殿である。参拝して背後を振りかえると太平洋の壮大な風景が展開している。 (洲崎神社HPより)

 

なるほど。

高い所から太平洋の絶景を眺める。

これは、楽しみだ!

 

 

随身門

洲崎神社の全体的な印象は、とてもシンプルな色使い。だが、この随身門だけは他の構造物と違うように感じる。

 

 

そして、階段。

 

 

雨上がりの拝殿。

御手洗山を後ろに、とても厳か。

位置的にも、太陽が出ているなら、陽が燦々と降り注ぐだろうなと想像。

 

 

 

お参りのあとは、境内散策。

目に止まったのは、下の案内「霊峰富士遥拝所」

 

お〜。富士山が見えるのか!

しかし、この日は曇り。

期待薄だが・・、遥拝所へ向かってみる。

 

 

やはり、富士山を拝むことはできなかった。

残念。

晴れた日なら、東京湾を挟んで富士山が綺麗に見えただろうな〜と、これまた想像。

晴れた日にまた訪れたいものだ。

 

 

境内へ戻り、

拝殿の横には、稲荷神社。

 

 

拝殿前を反対側に向かうと、

 

 

 

本殿後ろに、お社が見える。

 

 

金刀比羅神社

 

 

金刀比羅神社の手前には、長宮。

豊玉彦命・大山津見命・建速須佐之男命・大物主命

 

 

 

 

地主神かな。

 

 

お参りを終え、境内を後に。

曇っていて分かりにくいが、少し先には海が見える。

いい眺め!

 

 

ところで、興味をひいたのは、鳥居の上に「久那土大神」の札。

 

 

久那土の神は、さまざまな神威をもち、魔除け・厄除け・道中安全の神としても信仰されている。

その意味でも、このお札があっても不思議なことではないわけだ。

 

また、久那土の神は、アラハバキ神説もある。

そもそも久那土大神は、出雲族の祖神ともいわれている。

 

なんとなく、面白い。

天津神に国津神。

そして、インドやシュメールに通じるというクナト神もある。

 

エネルギーがシンクロし、この地へ参ったが、

はてさて、導きの神は、何を伝えようとしているのか?

 

 

ところで、洲崎神社に付随してこのような情報がある。

 

海底への分霊 海底神社。洲崎神社近くの海中に、水難事故・水難事件防止を祈願するために作られた分社。

江戸への分霊
室町時代には江戸城を築いた太田道灌が、江戸の鎮守として分霊を勧請した。『永享記』には「神田の牛頭天王、洲崎大明神は安房洲崎明神と一体」とあり、ここから神田明神もしくはその摂社・八雲神社が道灌の勧請した洲崎明神の後裔という説があるが、現在はどちらにも天比理刀咩命は祀られていない。

(以上、Wikipediaより)

 

 

時の政権、人の都合、人心掌握、災難厄除の名目で、その地に祀られる八百万が幾度となく代わり、二重三重に、重なりあってお祀りされているのが常だ。

一体、わたしは誰に向かって挨拶をしているのだろうか?と、たまに自嘲気味になることも。

それでも、どのような八百万も、人間を含めたあらゆるものの素材であり、変性・編成し、活力を作りだし、動きでもあり、人が生きる上で無くてはならない。

八百万の霊的段階によって、大宇宙のどの領域・ポジションを担当しているかは様々。

 

また、人は八百万とシンクロし、地球の生命力を増大させる役割がある。

世の常識なら、人は自然界から一方的に恩恵を受けているだけのようにいわれがちだが、実は、もちつもたれつの関係性。

場合によっては、人間が主導しなければならないこともあり、地球の生命力を増やすも減らすも、人の意識進化にかかっている。

 

人は人の道を

八百万は、八百万の道を

歩いている。

願わくば、大宇宙から見たなら、それぞれに進化していることを。

 

やがて双方の道は、徐々に近づき始める。

新しい地球では、その道がより一層近づき、これまで以上にシンクロすることが多くなるだろう。