八百万(ヤオヨロズ)夏越しの大祓 弁天様に会う! 神奈川・師岡熊野神社

2019.7.8  Chikako Natsui
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6月30日。夏越しの大祓。

ここ2年ほど、師岡熊野神社で開催される神事に参加していた。

今年は都合があって、不参加。

それでも、芽の輪くぐりはしたくて、午前中の早い時間に参拝させていただいた。

人形の神に、名前と生年月日を書いて奉納。

ふと、本殿後ろが気になり、回ってみる。

なんとなく記憶の中にはあったような気はしていたが、色々な神様がずらりと並んでいた。

お社ひとつひとつのご挨拶。

 

その並びに、「の」の池がある。

本当に池?と、思えるほどの小さな池だ。

すべてのお社へのご挨拶が終わったあと、ちょうど中央にある「のの池」の側へ寄ってみると、強く熱いエネルギーを感じた。

自然と目を瞑り、祈りの姿勢となる。

今度は、その強いエネルギーに身体が刺激され、自然と全身が動きだす。

身体を動かしながらも、頭の片隅では、「これ・・・誰かに見られていたら、恥ずかしいかも〜」などと人間的なことも考えている自分がいた。

しかし身体はおかまいなしに自在に動く。そのうち両手が八の字を描き出した。

その動きに、なにか意味があるようにも思えてみたり・・・。

神に捧げるダンスなのか? はたまた、神からのメッセージなのか? または単にその場の磁力に身体が勝手に動いただけなのか?

祈りは終わり、その場を後にしようと後ろを振り返ってみたら・・・誰もいない。

いつもの神旅同様、周辺にはひとの姿はない。

祈りは、異次元、異界へとつながる時間。

 

神社の階段を降り、駅へ向かう道へ・・・と、思ったら目の前に池。

・・・気になる。

この神社へは何度も訪れている。

池があったことに気づいていたようないないような・・・。

 

いつもは、初詣とか、大祓とか、目的があって訪れていたからだろう。

目的をもってしまうと、思考が動き出し、自然と目的のものを探してしまう。

ずっとそこに「ある」ものでも、「目的」に意識がいってしまい、気づかない。

 

その池は「い」の池という。

なるほど・・・

水辺、池、弁天様、市杵島比売神が鎮座していた。

いつだって、どこに行っても見守っていてくださる弁天様に気づかないとは!

小さな池、この日も今にも雨が降りそうな空模様。どんよりとした空気がその辺り周辺を取り囲んでいたが、不思議とそこは心地良かった、

師岡熊野神社

「い」の池・「の」の池

 

 

 

ところで師岡熊野神社は、ヤタガラス。

人生の導きの神 足の守護神(師岡熊野神社HPより)

 

そういえば、この日の何日か前の瞑想で、ヤタガラスが突然現れた!

メッセージをいまひとつ聞き逃したが、思い当たることが複合的にやってきているような気がする。

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