「262の法則」事件は見えざる世界で起きている cosmic connectのブログ vol.56

2018.1.23  Chikako Natsui
/ / / / / / / / / / / / / / / / /

「262の法則」を知っているだろうか?


以前、チームのマネジメントで
悩んでいたとき、知った話だ。

働きアリの法則ともいう。

働きアリのうち、
よく働く2割のアリが8割の食料を集めてくる。
働きアリのうち、本当に働いているのは
全体の8割で、残りの2割のアリはサボっている。
よく働いているアリと、普通に働いている
(時々サボっている)アリと、
ずっとサボっているアリの割合は、
2:6:2になる。
よく働いているアリ2割を間引くと、
残りの8割の中の2割がよく働くアリになり、
全体としてはまた2:6:2の分担になる。
よく働いているアリだけを集めても、
一部がサボりはじめ、やはり2:6:2に分かれる。
サボっているアリだけを集めると、
一部が働きだし、やはり2:6:2に分かれる。

(ウィキペディアより)




アリを例にあげて説明しているが、
これは人間社会においてもいえることだと思う。

チームのリーダーやマネージャーは、適材適所、
なんとか全員を機能させ結果をだそうと
マネージメントをするわけだが、
それは不可能に近い。

私も経験があるが、チーム内で機能していない
下2人のひとが消えたとしても、不思議なことに、
やっぱり下2人はできあがる。

なんでだ?

当時は躍起になってチーム全員を機能
させようとあれやこれや手を
つくしたこともあったが、結局は見る側の
意識によって下2人はできあがると理解した。

どんな人間の中にも光と闇はある。
どんな組織もそこに集まる人々は、
そのトップの鏡となる人が集まってくる。

結局は、組織のトップの光の闇が
集まったのが「チーム」

そもそも自分自身がその「チーム」に
投影されている。

トップからすれば「いい人」「できる人」もあれば、
「嫌いな人」「できない人」もいる。
「いい人」「できる人」は、トップが認める
自分の光の部分。「嫌いな人」「できない人」は、
闇の部分。
人は自分の闇はみたくない。だから箱にしまって
鍵をかけてさらに土をかぶせて石をのせて、
周りに木を植えて、場所さえもわからなく
してしまっている。

家にひとりでじーっとしている分には、
ひとは自分の闇には気づかない。

だが、社会生活や人間関係においては、
鏡に映って現れる。

その状況やひとに「しんどいな〜」と感じたなら、
遠い昔に箱に入れてしまってしまってしまって
しまってしまった「闇」からのお知らせ。

自分の中の闇が目の前の「嫌だな〜」という人や
シチュエーションを介して、気づいて欲しいと
訴えている。

そして、そもそも三次元は、二極化の世界。
「できる」「できない」と無意識に人の意識が
分かれる。また、自分に「合う」か「合わない」かも
ジャッジしている。

二極化に慣らされてしまった意識。
○か✖︎かを選ぶことが当たり前の世界。

人の下に人をつくり順番を決め、
変な「安心感」や「優越感」を得る。
人の上に人をつくり「先生」なるものを作り出し、
「憧れ」や「依存」を得る。

人の意識が進化しないなら
「262の世界」はどこにでも登場する。

三次元の世界は、見えざる世界で起こっていることを
映し出すスクリーンのようなものだ。

「ホントウ」は、見えざる世界で起こっている。

生きづらいのなら、何か問題が発生しているのなら、
それは、自分の影であり、闇に葬ってしまった部分が
人間関係や出来事として目の前に映し出されているに
すぎない。

ここまでは三次元で起こっている現象の話。

次回はスピチュアルな世界から!