パラレルワールド!拝啓 15歳のわたしからの手紙

2019.3.24  Chikako Natsui
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3月になって、天界から降りてくるエネルギーの量と質が変わった。

それに影響を受けた人々は、無意識に混乱をおこす。
感情は落ち着かず、自分ではないものから影響を受け、選ばされる。

この時期、天界と人々の意識が合間って、宇宙ソウル・次元や異界との境界が無い人々は影響を受けたひとも少なくないかもしれない。

実のところ、わたし自身も3月に入り、違和感があった。
特に春分の日の前2週間ほどは、複数のエネルギーを感じ、少なからず影響を受けた。

魂と大宇宙をつなぐわたしのソースコードにエラーが起き、聖なるコードからズレたのを感じていた。

目の前のことに向き合いたい気持ちと、面倒だと思う気持ち。
わたしとわたしではないもの、相反するエネルギーが葛藤をおこす。

わたしではないものを目の前に座らせ、セルフワークをした。
必要なものならば統合し、不必要なものならば手放す。

出てきたものは、

「罪悪感」

輪廻転生。長い時の中で内なる自分と折り合いのついていなかったネガティブなエネルギーがひとつ顔をだした。

 

 

3月21日。春分の日。
宇宙元旦の日でもあり、エネルギーが大きく変わるという。

今年は満月も重なって、大きな転機がおこりそうな予感がしていた。

少し前は、ワークショップの開催を予定したものの、内なる調和がとれず、しっくりこない。と言っても、これをする!と、なにも湧いてこないので、母の墓参りに実家へ帰ることにした。

だが、春の彼岸に入った頃だったろうか・・・。

夢をみた。

ヘビの夢。カラフルなヘビ。それも複数。そして実家の映像。

ヘビは霊的にも大きな意味をもつ象徴。

なんだろうか?

セルフワークをすれば、ヘビがわたしにとってどんな意味があるのか、答えは見つかるだろうと思ったが、内なる声が間もなく意味が分かると告げている。少し待ってみることにした。

 

 

そして、実家へ帰る前日のこと。それも夜9時を過ぎた頃だった。

「栃木 大神神社」

というメッセージがきた。

奈良県 三輪にある大神神社には、一昨年から何度か参拝している。
その三輪山のご祭神を分祀したのが、栃木県栃木市にある下野国総社・大神神社だ。

ん? 春分の日に大神神社? しかも栃木?

ヘビ。大神神社のご祭神・大物主神はヘビ神様!

つながったような、そうでも無いような・・・。とりあえず、「来い」っていうから、行くことにした。

参拝をしながら、その答えがやってくる。

祓い。浄化。

自分では祓いきれない、浄化しきれない、わたしにあまり良い影響を及ぼさないであろうエネルギーの浄化。

 

 

大物主神。これまでもわたしの気が穢れると、祓ってくれていた。

絶大なるエネルギーと安心感。

気が穢れ始めると、風邪をひいたり、肉体の浄化がおきてくる。

そういえば、2週間ほど前には、鼻、喉、気管支が不調でそれが1週間ほど続いていた。

傾向的に、ちょっとした気の汚れは市杵島姫神、弁財天であり別名瀬織津姫が祓ってくれ、もっと大物というか、波動の低いもの、邪気、邪鬼、もののけ、禍々しいものの影響を受けそうなときには、大物主神が登場する。

どこか遠くから夏祭りのような太鼓の音が聞こえてきた。おそらくそれはこの世界のほとんどのひとが耳にすることのない音なのだろうなと思いながら、耳をすませた。そして、わたしの参拝を喜んでくれていることに感謝した。

 

 

 

さて、実家へと道すがら、葬儀の看板をよく目にした。

「彼岸だから葬式が多いのか?」「あっちの世界へ渡っちゃうのね」と、頭の中でそんなことを考えた。

 

いや、そうじゃない・・・。

少し前から、転生サイクルが早まるようなメッセージが来ていた。

水瓶座の時代となり、エネルギーがどんどん変わっている。
そのために、旧態依然な魂はリセットを余儀なくされるという。
意識を変え、これまでとは違うやり方、活き方を模索する必要がある。

宇宙元旦を迎え、エネルギーが変わった。

現象界から霊界へ戻る魂も多い。人間界ではそれが葬式という形で表現されているのだろう。

肉体を脱ぎ、しばし魂の休息。

だが、カルマが大きく重すぎる魂は霊界へ戻れず、幽界へ囚われてしまうこともあるという。

葬式。

またわたしの奥の方で、カチリと扉が開いたような気がした。

 

死。

それは、今生でのわたしの課題のひとつ。

 

死とは何か?

魂の本質は知っている。

しかし、ひととして生き、死に至るまでの苦しさがそれを綺麗さっぱり忘れさせ、恐怖だけをわたしに残した。

死が怖いのではない。
死を迎えるときの様々な経験によって生じ、蓄積した感情がひょいとしたときに顔をだし、わたしを怯えさせていた。

だが、母の死が「死」と向き合うことで、死の様々な意味、側面をもつことを理解した。

 

「死と再生」とはよくいったもの。

転機、次のステージへの扉、魂の故郷へ戻ること、肉体を脱ぐこと。

小さい頃から、無意識にもそれを知っていた。

 

 

実家の自分の部屋で瞑想中のことだった。

スピリットガイドがわたしを導く。

目を開け、視線の先にあったのは、中学校卒業の記念の文集だった。

色あせて、シミもでき、簡単に製本されている。

その文集はずーっと見ることはなかった。
自分の部屋の収納に置いてあることも知っていたが、そこに意識がいかなかった。

これを見ろと?

何十年かぶりで文集を手にとり、ひとりひとりのページ、先生からのコメント、そして、女子生徒、男子生徒に分かれたひと言コメントを読み進める。

15歳のわたしはどんな子どもっぽいこと、ミーハーなことを書いていたのだろうか?

 

が・・・

しかし・・・

唖然!

 

女子生徒全員への題目は、

「大人になったら?」

大人になったら、わたしはこうなります!とか、こういうことがしたいです!という寄せ書き。

 

わたしは、

 

大人になったら?」

 

「死にます! 」

 

と、書いていた。

 

 

唖然。静止。

なんだ? わたし? 変なの・・ 変なの・・・。

15歳のわたし。変だわ~。

まさか、自殺したかった? そんなに辛かった?

だって15歳だよ! もっともっとキラキラしたことを書いてもいいでしょ、もっと夢のあること書いてもいいでしょ!

しかし、もう一度読み返してみても・・・

 

大人になったら?

 

「死にます!」

 

だった。

 

しばし、思考停止。

 

そして、文集のメインともいえる、自分が書いた文章を読んでみる。

そこにも、「くれぐれもわたしよりも先に逝くことのないように・・」とか書いちゃってる!

 

唖然の5乗くらいな気持ちになった。

また死について書いている・・・。

そんなに死にたかったのか? 死が恐かったのか?

 

スピリットガイドは何をわたしに見せたいのか?

どんなメッセージを携えているのか?

 

15歳のわたしは、そんなに不安定だったのだろうか?

 

落ち着かない気持ちのまま、瞑想に戻った。

それが終わる頃には答えがやってきた。

 

 

「死」とは、わたしの今生で取り組む必要のある課題だった。

しかし、今では、それが次のステージへの扉であることを知っている。

そして、その扉が、わたしの魂そのものなのだろう。

死とは肉体を脱ぐだけではなく、あらゆる「転機」を意味する。

 

15歳のわたしはそのことを無意識に知っていた。

これくらいの年齢は、まだまだ魂との結びつきが強いのかもしれない。

 

大人のわたしは「死にます!」なんて書かない。

死にたいとは思わないし、変なひととか、何か悩みがあるのかもしれないと思われるかもとか、ずっと残る文集に残す内容じゃないだろうと、他人の目を気にしたり、思考が動いて、その言葉は選ばない・・・だろうと思う。

 

でも、15歳のわたしは想うままに書いた。

無意識のままに書いた。

ガイドに書かせられるままに書いた。

 

2019年3月。大人になって久しいわたし、次の扉を開いたわたしが読むことを知っていた。

パラレルワールド。

過去のわたしから、15歳のわたしからのメッセージ。

次なる扉が開くタイミングでそれは贈られてきた。

 

 

ところで、先生の書いてくれたコメントが、これまた興味深い。

 

細かいことに気づく

正義感が強い

やればできると自信がついたか・・・だった。

 

細かいことに気づきやすく、正義感が強くて、でも自信がない15歳のわたし。

わたしもわたしを持て余し、周囲の大人たちはどうわたしにどう接すればいいか考えることもあったかもしれない。 強気のようで、弱気。繊細だけど大胆。

思春期。霊界はすぐそこだった。

細かいことに気づくのは、宇宙ソウルでエンパス体質だから。見えているもの以上に、行間を読み、言葉以上にエネルギーを読む。 知らずに霊視をしていたのだとも思う。

正義感が強いのは、魂の本質。大宇宙、神なるエネルギーから離れることを嫌う。過去生でも弱きものを守る、救う、革命や革新、時代の変成のときを選んでこの世界へやってくる。 しかし、それが社会生活では、自分を追い込み、苦しんだ。完璧主義ではない。寛容ではあるが、こと真理からズレることには厳しい。

自信がついたか?
過去生の影響で自分不信を引きずりながらこの世界に誕生した。さらに親からの影響もあって、自信をもって成し遂げることが苦手だった学生時代。

だからなのか、社会では自分に自信をつけるために、苦手な環境に自分をおいて生きることを選ばされた。
魂の課題を遂行するために、様々な環境と人間関係をこなし、学び、気づき、そして手放す。

 

魂を成長させる。

この世界でどんなに幼くても、若くても、未熟でも、経験がなくても、魂は老人。
この世界のルールや常識と魂の本質のギャップに苦しんだ。
気づいてみれば、あーそうだったのね~で終わるが、若い頃は、この世界に合わせて生きることに懸命だった。
周りがキャピーっとしていて、それに合わせていても、どこか不自然な自分だったことを覚えている。

波動が重いこの世界。
あなたのためにといいながら、なにか違うような気がする。
正義といいながら、自分の儲けや利益が見え隠れする。

輪廻が数知れず、オールドソウルの魂は様々なことを経験し、ホントウとそうじゃないこと、時にはその本人さえ気づいていなことも分かってしまう。

 

ホントウではない世界は、とても生きにくかったろう。この世界からエスケープしたいと思ったこともあったろう。

よく頑張った!15歳のわたしへ   大人になったわたしより

 

異次元、異界の扉が開きっぱなしで、スピリットガイドに導かれているものの、身をおいている世界と意識のギャップがありすぎて、辛いという魂年齢が高いけど、この世界では若者という宇宙ソウルも多いだろう。

だけど、それを理解できる大人は少ないかもしれない。

大人になればなるほど、この世界に飼い慣らされる。

大人も、なんか変だ!つまらない!と思いつつも、枠から飛び出ること、枠を壊すことには恐れを感じ、多勢に甘んじる。迷惑かけないように、他人に合わせ、この世界に合わせているので、それが当たり前の生き方だと思っている。
そしてそれを子どもにも強いることがある。

子どもが心配だから。子どもが人様から笑われないように。

人間的な親心ではあるのだが、それが苦しい子どもも大勢いる。

 

魂が違う。この世界へ生まれてきた目的が違う。

大人は自分を騙すことに慣れているが、子どもはそれができない。

人ぞれぞれ、魂それぞれに魂の課題を生きればいい。

 

大人のやり方は受け容れられない子どもたち。

異次元、異界は隣にあって、ガイドの声が常に頭の中に響く。

もしかしたら自分がおかしくなったのかもしれないと不安に思うかもしれない。

 

魂からの呼びかけと、この世界のルールの間にあって、どうやって生きればいいのか?
命の意味が分からないこともあるかもしれない。

 

どうしてこのようになったのだろうか?  この世界?

時代は変わり、四角四面なアカデミックな方法では、楽しくない魂、救われない魂もある。

 

ならば、面白くしようじゃないか!

いや、それは面倒だ!

 

そしたら、面白い世界を作ればいい!