八百万の神々(ヤオヨロズ) 自然災害と神社

2017.8.13  Chikako Natsui
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このところ、あちこちの神社さんとのご縁をいただいている。

具体的にいえば、日常の何気ない瞬間に、ふと高次の意識が私を刺激し、
「あそこの神社さんに行ってみたい!」と突然思う。

行ってみたい!というより、「行かねば!」とういう、何か切迫した気持ちになる。

元々神社仏閣巡りが好きで、よく京都や奈良の仏閣を巡っては御朱印を集めたりもしていた。

それが今年に入ってからは、八百万の神々からメッセージをいただくことが多い。

始まりは、6月に行ったとある神社さんだった。

何か切迫したような気持ちで向かったその神社のあり様をみた時には、
「この神社に私が求めるものが、何かあるのだろうか?」と、自分自身を疑った。

だが、本殿に向けて神社の階段を一歩ずつ上がるたびに、
体の内側から喜びに満ち、笑いさえでてくる。
そんな自分自身にも驚く。

神社の敷地内はとてもエネルギーが強く、心地良い。

だが、こころから目指したものは本殿ではない。
敷地内をウロウロしてみたが、なかなか見つからない。

「もう帰るかな」と思った頃だった。

神社を管理している人なのか?それとも地元の人なのか?

女性が突然現れて、「奥の院は行きましたか?」と尋ねられた。

そう、私が目指すは奥の院だった。

スピリットガイドは常に私を導いてくれる。

丁寧にその場所を教えてもらい、向かう。

ちょうど神社本殿と呼ばれる場所の後ろになっていた。

ホントウとは、人間の目から隠されたところにある。

この頃、様々な神社を訪れて思うことはそれだ。

ホントウは、決して人の目に触れないところにあるのだ。

さて、その女性に教えられたとおりの道を行く。

あった。奥の院だ。

強く、厳しいエネルギーを感じる。
ここは、古代から時の流れが止まっている。異次元だ。
もしかしたら、今、少し離れたところからこの場所を見た人がいたなら、
私の姿は見えなかったかもしれない。

不思議なことに、自然と頭が下がり、その場でひれ伏すような体のカタチになった。

何時間でも、何日でもここにいることができるように思えた。
というより、久しぶりに懐かしい場所に戻って来たような気持ちになる。

しばし、瞑想。

その間、次々に浮かぶ光景。

古代の人々が、この場所を未だ守っている。

誰を、何を・・・守っている?

一つは、ここに人間のエネルギーが安易に近づくことを許していない。
そして、もう一つは、そこを守り続けている強いエネルギーを隠している。

瞑想の中で、問いかける。

この場所のことを記事にして良いかと。

答えは・・・否。

「ここは、お前が癒され、エネルギーを蓄えるため、己と向かい合うために来る場所だ。
多くの人間に知らしめる必要はない。
倭国には、様々な神がおる。それを伝えるが良い」

メッセージが降りて来る。
懐かしい場所。ほっとする場所。
遠い昔、この場所で祈りを捧げていたのであろうと・・・光景が見えてくる。

ずっといたい場所ではあった。
だが、そこは自然に囲まれた場所。木々や草、鳥や獣。異界なのだ。
手や足を蚊に刺されたことで、ふと我に返った。
私は肉体を持った人間だった

途端に、また頭の中でメッセージが響く。
「肉体をもつとは難儀なことよの。また来るが良い」

後ろ髪を引かれながら、懐かしいその場所を後にする。
かゆい・・・。

とはいえ、実はその時は受け取ったメッセージには、我ながら半信半疑だった。

なぜ神様のメッセージを伝える? 私が? そんな大それたこと?
いい時だけの神頼み。何かを信仰しているわけでもないし。
人間的には、案外適当だし。欲もあるし。

それに私個人としては、それまで、神様とは何かや誰か、はたまた偶像崇拝するというよりは、
一人一人のこころの中にいると無意識に思っていた・・・ように思う。

今でこそ思うのは、
大いなるもの=宇宙が誕生してから、最初の段階では「愛」が
中心に置かれていたのではないだろうか。
大いなるものや、宇宙や愛というものを神と呼んでいたのではないか。

しかし、永い永い時間をかけて「大いなるもの」は、時の権力者によって、
自分の都合の良いように変えられた。
本来、意味づけや差別、評価をされるものではない「愛」が、今となっては、
戦争の火種にさえなっているように思えていた。

だから、「私がするの?」というような落ち着かない気持ちもあった。

だが、受け取ったメッセージは「八百万の神々」という言葉だった。

八百万の神?

言葉として聞いたことはあったが、はて?八百万の神とは?

そう思った瞬間に、あちこちから八百万の神についての情報や知識が吹っ飛んできた。

太陽の神 日本の最高神天照大神を筆頭に、山の神、大地の神、火の神、河口の神、雷神、
台所の神、トイレの神など、おなじみの神様が多い。
日本人は特定の宗教を信心している人が少ないのだが、身近に神様はいることを
無意識に知っているのではないだろうか。もちろん、自分のこころの中にも神がいることを。

私が? と、思いつつも、帰り道に思い出した。

何年も前に、神々が降り立ったという鹿児島の霧島神宮と
天照大神伝説のある高千穂 あまの岩戸に行ったことを。

スピリットガイドは常に私を導いてくれていた。
だが、私が一切気づいていなかったのだ。
当時はただの旅行としか思っていなかった。
その裏には、私の魂の使命が隠されていることを。

ホントウは裏に隠されている。

八百万の神々=大いなるもの(宇宙)=人間はそれの一部である。
ということは、人間のふるさと、本部からのメッセージが送られてきているのではないか。

本部からのメッセージを受け取ってみると、どうして私が神様=大いなるものの
メッセージを伝えることに合点がいった出来事があった。

あるとき気になって、神社の多い都道府県はどこかと調べていた時だ。
なんと!地震被害が多い県に神社が多く建てられている。

阪神淡路大震災
東日本大震災
中越地震
など・・・。

そして、東日本大震災の時、海側に建てられていた神社の多くが、
津波の難を逃れている。周辺の民家が流されているというのに。

これは何を意味するのだろうか?

それに疑問を持ち、調べている人たちもいる。
すでに、NHKでも特集が組まれ、放送されたという。

ということは、古代からそれらの自然災害は繰り返され、
それを鎮めるために神社が建てられているのではないか。古代の人々は知っていたのだ。
神社のある場所こそが人間と神域を分ける場所だと。

つながった・・・。

私が人生の転機を迎えたきっかけは大きく2つあると思っている。

その1つが東日本大震災だった。

私は福島県いわき市の出身だ。

故郷が、3.11といわれる地震と原発事故によって受けた大きな傷は、
まだ癒えていない。

当時から思っているのは、「どうしてあのように大きな地震が起きたのだろうか?」
「どうしてあんなに大きな津波が押し寄せてきたのだろうか?」
「あの原発事故はなんだったのだろうか?」だ。

そして、それらは全て、自然と人間の共生がうまくいっていない。
自然と人間のバランスが崩れている。
人間が自然の領域に侵入してしまったのではないか?
・・・そう思ってきた。

今、自然の中の神々の声、八百万の神々の声に耳を傾ける時なのではないか。

そうするとことで、私たちの故郷、世界一古い歴史をもつ日本が美しい形を残し、
次世代へ引き継がれることこそが世界の平和につながっていくのではないだろうか。

今、様々な自然災害が日本各地でおこっている。

それは、八百万の神々からの人間社会へのメッセージなのではないだろうか?