八百万(ヤオヨロズ) 神の島 祈りの島 御嶽で聴いた聖なる音色 沖縄・久高島 Vol.3

2019.4.18  Chikako Natsui
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「あの世」から向かった先は、フボー御嶽。

※フボー御嶽
沖縄の七御嶽の一つで、久高島のみならず沖縄でも最高の霊地。アマミキヨが住んだと言う霊地を廻る巡拝東御廻り行事の一箇所でもあります。
旧来から男子禁制の聖地で、今でもヨーカビー(お祓い)、ピーマティー(火の神の祀り)、ハマシーグ(害虫祓い)など多くの祭祀がここを舞台に執り行われています。(沖縄情報IMAより)

 

自然の中に作られた道を黙々とひたすら歩く。
話は前後するが、フボー御嶽へは前日ガイドさんに案内されていた。

そもそもこの島は、女性が神女となり神事を司ってきた。そのためフボー御嶽への入れるのは女性のみだった。
それがここ数年のこと、御嶽の神聖さを保つために一般の女性も立ち入りは禁止されるようになった。

そのため、入り口のところで祈る。

初めてフボー御嶽の入り口へ立ったとき、森の奥から流れ出てくる熱いエネルギーに驚いた。

手のひらがジンジンする。そして、心臓にズキンと軽い衝撃を感じる。ハートのチャクラが反応した。そのまま心臓はドキドキと反応し続ける。今度は笑いたいような、ウキウキするような楽しい気分になってくる。しかし、同時に涙が溢れてくる。

不思議だった。感情が動いているのでもなく、もっと違った原始的な反応のような気がした。

フボー御嶽のエネルギーとわたしの魂がシンクロし、魂が目覚め、何かを思い出さている。
馴染みのあるエネルギーを感じ、魂が喜んでいたのかもしれない。

ガイドさんをあまり長い時間待たせてもと思い、この感覚、この感じを自分にインプットして戻った。

ガイドさんにフボー御嶽の感想を求められたので、

「なんだか楽しいんだか、笑っちゃうんだか分からないんですけど、ウキウキして、でも涙がでてくるんですよね・・・」そう答えた。

「前にここにいて、それを思い出したのかもしれないね」と、ガイドさん。

前とは、過去生のことを言っていた。
いつかの生で久高島に生まれたことがあり、この場所がどういう場所なのかを知っていたのではないかということらしい。

さすがに久高島の方だと感心した。

さらに、フボー御嶽は「陽の気」が集まる場所と教えていただいた。
だからなのか、ウキウキと楽しい気持ちになったのかもしれない。

 

ガイドさんはこの後にもうひとつの御嶽へ案内すると言っていた。

「あなたはもうひとつ行っておいた方がいいね」

フボー御嶽が陽の気ならば、これから行くところは隠の気の場所で、フボー御嶽とは陰陽の一対の場所らしい。
見学コースにはなかったようなのだが、一緒に過ごす時間のうち、ガイドさんがそう判断されたのかもしれない。

実は、今回の久高島滞在でガイドをお願いするかどうか、行く前日まで迷っていた。
これまでの神旅は大概ひとりで回っていたし、ひとりで神を感じ、自然を感じ、自分の感覚を大事にしていた。
でも、今回の久高島では明確な理由がなかったがガイドを頼むかどうか迷っていた。

だが、その日の朝方見たへびの夢で、自然とガイドをお願いしようと思った。
夢を見たからといって、これだ!という理由があったわけではないのだが。

そしてやはり不思議といえば不思議、必然といえば必然なことがおきた。

久高島のガイドをされる方は何人かいらっしゃる。
プロフィールをみっちりと書いていらっしゃる方もいれば、さらっとの方も。
みっちりとさらっとの間をとって選んだ・・・つもりだった。
頭の中では「このひと!」と思っていたのが、実際にメールをしたのは違った方だった。

島に着いて連絡をいただいて、あれ?このひとだっけ?と、瞬間焦った。メールアドレスとお名前をもう一度確かめた。間違ってはいなかった。
正直なところ、どなたでもいいといえばいいのだが、Aさんのアドレに「Bさま」と送っていたのでは失礼だと思い、それで焦った。

結局のところ、この世界のガイドもスピットなガイドが選んでいたというわけだ。

 

フボー御嶽を後にして、もうひとつの御嶽へと参る。
車での移動だったし、話をしていたせいか次の御嶽は近く感じた。
自分は男性だから入れない。というガイドさんを残して、木々に隠れるようにひっそりとしている場所へ。

ここはフボー御嶽のように奥まった場所では無いが、やはり強いエネルギーを感じた。
そして、まるで身体が覚えているかのように、自然とひれ伏す形になった。
この御嶽を守るスピリットが、どうやら表には出たくないようなので、経験したことはこれくらにしよう。
写真撮影もしたが、これも掲載はやめる。

 

次の日。

「この世」と「あの世」を右往左往し、墓所を抜け、今度はひとりでフボー御嶽へと参った。

2組の見学者が入れ替わり立ち替わりやって来た。
昨日と同じように入り口のところでご挨拶し、なんとなく落ち着かなくて、その場を離れた。

その時、足の指の痛みに気づいた。

歩きやすいサンダルを履いていたのだが、両足ともそれぞれに傷ができていた。
あの世とこの世の行ったり来たりのストレスが大きかったのだろうと思った。

あの世への境目を歩きながら、怖さと、グラウディングといえば聞こえはいいが、どちらかというと「しがみつき」という感じがする。

そして、負傷!

 

フボー御嶽へは、島へ来た次の日から4日連続参った。

3回目は朝も早い時間だったこともあり、見学するひともおらず、前の2回よりもゆっくり祈ることができた。
エネルギーを感じながら、その場に溶けていくような感覚を味わう。

その時、聴こえた。

最初は笛の音だった。どこから聴こえるのか? 微かな音。そして今度は太鼓の音。
太鼓の音は自宅にいてもよく聴いていて、久高島でも昨晩も部屋にいる時に聴こえてきた。

実は、久高島2日目の朝だった。どこからともなく調子っ外れな縦笛の音?が、聞こえてきた。
それが気になったので、ガイドさんにも聞いてみた。朝の儀式か何かで笛を吹くのかと思ったからだ。
しかし、ガイドさんは「そんなことはない」と否定された。

その後も何度か聴こえる音の発信元を探して、森の中を徘徊していた。

結局、その音色は鳩の鳴き声だと教えられたのだが・・・今ひとつピンとこない。

だが、この日の朝、フボー御嶽で聞いた音色は、間違いなく笛と太鼓の音だった。

 

霊聴。

この世界ではない次元と世界につながっていることをスピリットガイドは伝えている。

この世界の音と違う次元や世界から聴こえてくる音は、違う。

ひとによっても聴こえ方が違うのかもしれないが、わたしの場合は、この世界の音は黒い文字ではっきり描かれ、違う世界の音は薄い灰色のような文字で表現される。

表現が難しいのだが、物質界の音と霊的な音は聞こえ方が違うのだ。

さて、違う世界か次元から聴こえてきた音は間も無く止んだ。

 

「まもなく車が来る」

 

そのようなメッセージが来た。
その直後、この世界の車の音が聞こえてきた。

間もなく、年配の女性が運転する車がやってきた。見学のグループだろうと思ったのだが、

あれ? この方・・・。

見学の方たちには間違いないのだが、案内をしていた女性に見覚えがあった。
今朝だったか、宿で荷物を預けに来たような・・・。

わたしの奥の方で何か動いた。
でも、はっきり「これだ!」というものもなく、軽く会釈をしてその場を立ち去った。

 

その後もまた、森の中を彷徨う。

ガイドさんに案内されて来たときに言われた「前世で久高島にいたのかも・・」
それを思い出しながら歩いていた。

過去生の何度かはシャーマン的な生き方をしていた。
そのうちひとつの生は久高島だったかもしれない。

わたしがいつも祈りを捧げるイメージの場所は、深い森を抜け、洞窟の中に祭壇だ。

過去生のどこかで祈った場所なのだと思っていた。そこでは神につながり、大宇宙へとつながる。

久高島の自然の中を歩きながら左右前後と眺めてみれば、その昔ここは鬱蒼とした森の中だったろうと想像できた。

今の時代だから車もあって重機も入りやすい。人間の便がいいように舗装されたが、その昔御嶽は森の中にひっそりとあったのだろうと思った。

そして、わたしがこの島に生きた時代に比べれば、神々のエネルギー、精霊のエネルギーは弱くなったのかもしれない。そんなことが頭の中に自然と浮かんできた。

 

その時、海側の方から下手な縦笛のような音が聞こえてきた。謎だと思っていたあの音だ。
つられてその方向へ行く。

また車がやってきた。

さっきフボー御嶽で見覚えのある女性が案内するグループだった。
わたしが道の真ん中をうろついていたものだから、先方も一旦車を止め、笑顔で会釈。

その瞬間、気づいた。

「この運転されてるひとは、霊能者だ」

沖縄の霊能者といえば、ノロ、ユタなどの形容詞を聞く。
正直なところ、わたしはどっちが何をするひとなのか分からない。
ただいろんな話を聞くうちに、商売としてやっている方と祭祀を司る方の区別があるようだということを理解した。

久高島でお世話になったガイドさんから聞いた話では、現在、島にはノロはいないらしい。

では、この方は?

行くところ、行くところで出会わされる。これもスピリットからのメッセージなのかもしれない。
そんなことを思いつつ、やはり鳩の鳴き声なのか、笛の音なのかが気になってウロウロを続けた。

今度は先ほどの車がいった先から聞こえて来る。

「でもな・・・この先、お墓なんだよな~」

2日続けてお墓まいりは避けたい。

「墓所には入らず、その手前で戻ってこよう」

そう思って、音のする方へ向かった。

 

あとから思い返してみれば、久高島での行動は本能的、無意識的。スピリットガイドに導かれてのことばかりだった。

だからいつも頭がスッキリすることなく、モンヤリした感じで過ごしていた。

アセンションを経験された方なら分かるだろうが、常に高次へと引っ張られている感じが続いていた。

そして、異次元、異界を彷徨っていた。

 

そしてそのときわたしが本当に行きたかったのは、笛の音色の正体を知るのでもなんでもなくて、先日ガイドさんに連れていってもらった「陰の気」の御嶽だったように思う。

だが、もしかするとそれもフェイクで、ホントウのところはあの墓所のどこかに眠る過去生の自分を懐かしんでいたのかもしれない。

 

迷い込むように墓地の手前、左に折れる道を発見した。
そこは草むらで、突入するのは少々勇気がいるところだった。

昨日の墓所突入の意気込みはまったくなく、早々に諦めて引き返そうとしたそのとき、草むらの方から、さっきのグループが乗った車が戻って来た。

わたしがあまりにもウロウロしていたので、不審なのか、不思議なのか、魂落っこちたひとに見えたのか、霊能者の方は車を止め、窓を開けて声をかけてくれた。

「どこに行くの?」

わたし「笛の音のようなものが聞こえて・・・」

霊能者「あーあれは、鳩! そっち行っちゃうと墓地だから、違う道行った方がいいわ」

わたし「あっ、そうでしたか。はい!」

そんな短いやりとりがなされた。

「墓地・・・すでに行ってしまったが・・・」と、わたしのこころの声。

 

スピリットガイドの導きなのか? 縁ある魂だからか?

霊と霊、魂と魂の引き寄せなのか? 通りすがりの縁なのだろうが、今朝から何度もすれ違っていた縁は、最終的には言葉を交わし、エネルギーの交流がされた。実はこの後も、沖縄本島へ渡る帰りの船でも一緒だった。

そんな小さな出会いや出来事が、なぜかこの久高島にいると、大きな意味があるように思えた。

ひとつひとつの経験が、魂を刺激し、何かを思い出させ、違う扉を開く。

うえに引っ張り上げられながら、地球へと根づく感じもする。

 

天と地がつながる場所。

 

なんなのだろう? この不思議な島は。

やはり神の島なのだろう。

 

そうだ! 確かに天と地をつなぐ場所があったのだ。

 

続く。