【祈り】福縁の地 相津! すべてのスピリットの出会い・再会!  伊佐須美神社・福島県

2021.10.5  Chikako Natsui
/ / / / / / / / / / / / /

アラハバキ神を訪ねたあとは、岩代の国 一の宮 会津総鎮守の伊佐須美神社へ!

 

伊佐須美神社

 

関連記事:

【祈り】アラハバキはシュメールにつながる!?      荒脛巾神社・福島県

 

実家のある福島県いわき市から会津までは、車にしても電車にしても3時間近くかかるの。
そのため、同じ県内とはいえ、しょっちゅう行くことのできる場所ではなかった。

伊佐須美神社は、お正月の初詣を案内するテレビコマーシャルでしか馴染みのないものだった。

しかし、せっかく会津に行くならば、会津を守るこちらを訪れてみようと思いついた。

 

ご時世なのか、杜のなか鎮まる伊佐須美大明神は、ひっそりとしていた。

 

 

伊佐須美神社 ご祭神

伊弉諾尊
伊弉冉尊
大毘古命※1
建沼河別命※2

上記の四柱総称して、「伊佐須美大明神」と奉称。(伊佐須美神社HPより)

 

※1
古代日本の皇族。第8代孝元天皇の第1皇子で、第11代垂仁天皇の外祖父である。また、阿倍臣(阿倍氏)を始めとする諸氏族の祖。四道将軍の1人で、北陸に派遣されたという。(Wikipediaより)

※2
記紀等に伝わる古代日本の皇族。第8代孝元天皇皇子の大彦命の子で、阿倍臣(阿倍氏)の祖。四道将軍の1人として東海に派遣されたほか、垂仁天皇朝では五大夫の1人に数えられる。(Wikipediaより)

 

 

ご由緒

社伝によると、凡そ二千有余年前第10代崇神天皇10年に諸国鎮撫の為に遣わされた大毘古命とその子 建沼河別命が会津にて行き逢い、天津嶽(現・新潟県境の御神楽嶽)において伊弉諾尊と伊弉冉尊の祭祀の礼典を挙げ、国家鎮護の神として奉斎した事に始まると伝えられます。

我が国最古の歴史書とされる『古事記』には「大毘古命は先の命のまにまに、高志国に罷り行きき。ここに東の方より遣はさえし建沼河別、その父大毘古と共に相津に往き遇ひき。かれ、そこを相津と謂ふ。ここを以ちて各遣はさえし国の政を和平して覆奏しき。ここに天の下太平けく、人民富み栄えき。」とあり、“会津”地名発祥の由来と創始を共にしております。

その後、博士山、波佐間山(現・明神嶽)と会津の山々を巡り、第29代欽明天皇13年(552)に高田南原(現・境内高天原)に遷られ、同21年(560)現在の宮地に鎮座されました。以来千四百有余年、大毘古命、建沼河別命 父子も合祀し、四柱の大神を伊佐須美大神と称え奉りお祀り申し上げております。(伊佐須美神社HPより)

 

 

鳥居を入ってすぐ、神社のかたから声をかけられた。

説明されたのは八方除けのお守り 強運守。

二対でひと組。

このお守りを持ちお参りすると良いらしい。

 

古くから伝わる強運守は、二つ一対の家運隆盛のお守で一家全体を守護されます。
八方塞がりや厄年、人生の一大事を控えている方は特に強いお徳を戴けます。
元来は特別な祈願の方のみに頒布していたものを近年より一般公開して特別な作法にて授与されています。(ぐるっと会津HPより)

 

 

参道途中に、たくさんの風鈴が吊るされた棚があり、耳に心地よい。

7月25日〜8月22日まで、伊佐須美の杜 七夕祈願祭が催され、例年なら200個の風鈴が、今年は5倍の1000個とコロナ収束を祈ったそうだ。

わたしが訪れたのは、お盆の頃。

ちょうどその期間だった。

 

風鈴の下を歩き、楼門へ向かう。

 

 

楼門

 

左右には、門を守る古代人の姿。

左が建沼河別命、右が大毘古命のようだ。

 

大毘古命

 

 

建沼河別命

 

 

とても素敵な仮社殿!

 

前の社殿は、平成20年に火災で消失したらしい。

 

 

 

お参りを終え、ご神木へ。

とにかく氣の強い、ゴージャスなご神木!

 

 

まずは、「飛龍の藤」

推定樹齢300年とされる、福島県内有数のフジの巨木。(ぐるっと会津HPより)

 

 

厄割り石。

厄割り玉をぶつけて、厄払い!

 

残念ながら、厄割り玉の画像はなし。

 

 

 

 

会津出身とされる天海大僧正が、母の病気平癒を祈願して植えたヒノキ。

 

時を経て、強い氣を放つご神木となった。

 

 

 

しばし、ご神木をお楽しみあれ!

 

縁結びの紅葉

伊佐須美大神としてお祀りされる伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)は、初めて夫婦の道を開かれ、親子、兄弟、朋友、社会の繋がりをもたらした神様です。
​また、大毘古命(おおひこのみこと)と建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)の父子は、それぞれ北陸道と東海道を平定して全国を巡られる途中、偶然にして会津にて出会われたと伝えられます。

その神々がお祀りされる御本殿の隣に生えている「縁結びの紅葉」は、二本の幹が一本の幹になるいわゆる連理樹のひとつです。その姿とご祭神の由緒を重ねて、縁結びや夫婦・家庭円満、恋愛成就のご利益を求めて多くの方が手を合わせ、最近では、復縁祈願に訪れる方もいらっしゃいます。(ぐるっと会津HPより)

 

 

 

 

 

 

 

 

御朱印をいただこうと窓口に近づくと、窓辺には白い猫!

気持ちよさそう〜。

 

 

円満福寿の神

末社 白山神社

 

 

 

東参道を行くと、

 

 

会津大国魂神社

ご祭神

会津大国魂の神 (毘古命・建沼河別命による会津開拓に従った八百万の神々を指す(伊佐須美神社HPより))

 

 

 

 

菅原神社

ご祭神

菅原道真

 

 

神牛

知恵・学問の神様菅原道真公の御使とされる神牛が鎮座しています。
この神牛の由来として、これを三回なで祈願すると願い事が叶うとされ、なで牛とも言われています。(伊佐須美神社HPより)

 

 

 

殺生石稲荷神社

道路を挟んだ境内南に鎮座している。

天保12年(1841年)に殺生石による祟りを鎮めるために再興されたという。(伊佐須美神社HPより)

 

殺生石(せっしょうせき)は、栃木県那須町の那須湯本温泉付近に存在する溶岩である。付近一帯に火山性ガスが噴出し、昔の人々が「生き物を殺す石」だと信じたことからその名がある。

なお伝承上、この石に起源を持つと伝えられている石が全国にいくつかあり、ここにも殺生石の破片が飛来したと伝わる。(Wikipediaより)

 

 

 

 

拝殿

 

 

拝殿の横の隙間から、この石が殺生石だろうか?

 

そう思ったのは、強い氣でこちらの氣を引きつける。