【祈り】富士山   大マスターからのメッセージ!

2021.2.25  Chikako Natsui
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富士山

その周辺は、

さまざまな種類のエネルギーを包含する。

 

神聖 高貴さを感じれば

魔性 土臭さを感じることもある

 

懐かしさや憧れとともに

両極に惹きつけられる。

何度でも行きたくなり、何度でも目にしたくなる。

 

宇宙 天界へとつながり

海底 地の果てから常世までにもつながっている

 

天と地がつながり そのエネルギーは大きく広がってゆく。

レイラインにのって。

この国を、惑星を循環する。

 

ところで一説には、富士山は蓬莱山といわれたとか。

 

蓬莱とは?

古代中国で東の海上(海中)にある仙人が住むといわれていた仙境の1つ。

 

浦島伝説の一つ『丹後国風土記』逸文では「蓬山」と書いて「とこよのくに」と読み、文脈にも神仙などの用語が出てくること、田道間守の話や他の常世国伝承にも不老不死など神仙思想の影響が窺えることから理想郷の伝承として海神宮などと習合したとも思われる。

平安時代に、僧侶の寛輔が、「蓬萊山」とは富士山を指すと述べた

『竹取物語』にも、「東の海に蓬萊という山あるなり」と記される。求婚者の一人車持皇子に難題として「蓬萊の玉の枝」を採取して持参することが課せられ、この玉の枝を巡る話が物語の一章をなす。また、富士山と結び付けられて言及されることがあり、謡曲の一つ『富士山』には「然れば本号は不死山なりしを。郡の名に寄せて。富士の山とは申すなり。

また蓬萊は、方丈・瀛州とともに東方の三神山の1つであり、渤海湾に面した山東半島のはるか東方の海(渤海とも言われる)にあり、不老不死の仙人が住むと伝えられている。徐福伝説を記した司馬遷『史記』巻百十八「淮南衡山列伝」で記されている。
瀛州はのちに日本を指す名前となった。(ウィキペディアより)

 

 

 

 

 

 

 

この日は富士山詣でと、お供のウゴウゴ白龍神のパワーチャージ。

竜宮洞窟へ!

 

ちょうど1年前。

まったく同じ日にここを訪れてた。

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樹海ということもあって、前回はおっかなびっくりだったが、今回は慣れたもので、長い時間をここで過ごすことができた。

 

まずは、豊玉姫神といわれるご祭神のお社にお参り。

そして、hikari。

光の儀式

光の饗宴

 

 

 

 

光が集まり

光が流れる

 

 

光は

神なる光線をつくりだす

 

レイライン 光の道 龍脈

 

RayがLineすると、白龍神がウゴウゴ遊ぶ。

 

 

 

 

あっちこっちとRayがLineする。

 

 

 

ここで1時間以上を過ごしただろうか。

 

ウゴウゴ白龍神とともに、ひと的世界へと還る。

 

ランチは、やっぱり、ほうとう!

樹海で冷えた身体には嬉しい。

異世界のエネルギーからひと的エネルギーへ戻る調整。

食!

 

 

ランチのあとは、ここも何度も訪れている 北口本宮富士浅間神社。

富士山へとつながる神社。

境内のあちこちが依り代になっているようだ。

 

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【祈り】ライオンズゲート 大いなる宇宙の扉が開く! 光の儀式! 浅間大神に見せれらビジョンは・・   北口本宮冨士浅間神社・山梨県

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、前回の記事のときにも書いたが、富士の樹海は冷やかしに行くところではないので、肝に命じたい。

祈りの気持ちで訪れる場所なのだが、

祈りとは、これもまたひとそれぞれに定義が違うように思う。

神社とは、なんとなく、ひと的欲をあれこれお願いする場所ではないと、世の中的にも浸透し始まっている。

だが、心もちやどこに端を発しているかによって、世界平和に疫病退散も、実はひとの欲になってくる。

森羅万象・生きとし生けるもの・ひとを想いやること、こころを配ること、気を配ることも、どのようなエネルギーによって形作られているのだろうか?

そこに、一滴でも情が入るのなら、聖なるエネルギーではなく、ひとの世のエネルギーだ。

場合によって、それでは具合が悪いこともある。

 

エネルギーが純化されていない段階で、ものごとの霊的側面に働きかけることは注意したい。

たいがいが幽界にあるエネルギーにコネクトしてしまう。

場合によっては寝た子をおこす、いまの段階でおこす必要のないスピリットを起こしてしまうことにもなりかねない。

 

実際にそれによってこの世界に混乱の一旦が引き起こされている。

神への憧れ、見えざる世界への思惑が、低位の八百万や精霊たちを巻き込み、この世界のエネルギーを混乱させてしまう。

 

古代文明を思い起こすなら、その崩壊は、堕落した司祭の悪心から始まっている。

 

神とは、大宇宙である。

しかし、堕落した司祭は低位の神とそれを勘違いしたのだろう。

司祭は聖なる道から大きく外れ、大宇宙のエネルギーをつなぐことができなくなった。

聖なるエネルギーを受信できない文明は、いつしか荒廃し、人びとは争い、病み、飢え、やがては海の底へと沈んでいった。

 

聖なるエネルギーから見放された文明の末路。

その始まりは、ひとの欲。それに突き動かされた低位の神々。持ちつ持たれつ。

支配するものと支配されるもの、表になったり裏になったり。

 

見えざるエネルギーにコネクトするときには注意しなければならない。

はっきりいってしまえば、儀式をやる必要のないスピリットグループはやらない方いい。

別の魂のミッションがあるはずだから。

霊的なことに関して、やりたいからやるというには、あまりにも重ねる罪がおおき過ぎる。

いまはまだその時ではない。

 

宇宙神子。

やる必要があるスピリットグループ。それをやるために転生したスピリットグループでも、次のことは留意しなければならない。

 

エネルギーの純化

守護霊の強化

大宇宙とのつながり

惑星霊とのつながり

高位の神霊とのつながり

多少なりともサイキック的な能力

執着のないこころ

 

以上をもってして行う。

 

繰り返しいうが、エネルギーが純化されていないと、波動の低いエネルギー、雑霊・邪霊・動物霊・悪霊・不成仏霊などに依憑かれ、弄ばれる。

とにかく純化されたエネルギーと自分軸がない状態での儀式は大変危険だということを知っておきたい。

 

例えばの話、ひとが神子の魂で、その他が違う場合、その人たちが危険に晒される。

 

わたしは他者と一緒のライトワークをするときは、高位の霊がいる場所でしか行わないのと、まだ多人数ではやらないことにしている。

なぜなら、それをやるスピリットが道の途上にあるのと、目醒めていないスピリットも多いからだ。

雑霊からある程度自分を守れる状態になって初めて、自然のなかなどに分け入りライトワークを行うことができる。

それまでは、とにかく自分を守り、浄化しながら、調和しつつ、ひとと霊を行き来しながら、高位の神界に守られながらのライトワークを行うのがいい。

 

宇宙神子

しかしながら、いずれは目醒め・道を歩き、それをやるだろう。

大宇宙の聖なる目的のために。

 

はるか遠い昔、悪心によって聖なる道からはずれた司祭のようにならぬよう、

大宇宙は

大スピリットは

さまざまなマスターたちが

光の兄弟姉妹たちが

見守っている。