【祈り】荒ぶる神 スサノオ 光という名の闇を切り裂く! 旅の途中で出会ったのは旅の守護者 大天使ラファエル  出雲大社〜韓竈神社〜鰐淵寺〜猪目洞窟・島根

2021.1.2  Chikako Natsui
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終わりと始まり

死と再生

闇と光

裏と表

外と内

 

ひとと霊(スピリット)を行きつ戻りつ

 

狭間にある

 

 

スサノオの神旅シリーズ:

【祈り】荒ぶる神 スサノオへの道は、キリストへとつながる!?  日御碕神社・島根

【祈り】荒ぶる神 スサノオ見参!? 激しく・痛い歓迎!  稲佐の浜〜出雲大社・島根

 

 

相反する想いのなかの神旅。

目的の地は猪目洞窟。

 

ひと的意識が躊躇する。

霊的意識は行きたがる。

 

猪目洞窟
『出雲国風土記』によると、この洞窟は“磯より西の方に窟戸あり。高さ広さ各六尺許なり。窟の内に穴あり。人入ることを得ず。深き浅きを知らず。夢にこの磯の窟の辺りに至る者は必ず死ぬ。故、俗人、古より今に至るまで、黄泉の坂、黄泉の穴と号くるなり”と記されている。つまりこの世とあの世を結ぶ境界、 そして“死”を意味する場所なのである。(日本伝承大鑑より)

 

あの世とこの世を結ぶ境界といえば、出雲では黄泉比良坂が有名だ。

だが別の説では、その境界とは猪目洞窟ではないかともいわれる。

さまざまな境界があり、それはあらゆるところに存在している。

だから、黄泉比良坂も猪目洞窟も境界なのであろう。

 

霊的にいうなら死は終わりと始まりを意味する。

ひとの世界では忌み嫌われ、恐れられる。

それゆえに、どうやったら死なないか。それを土台とした、あらゆるサービスが作られた。

健康で幸せに生きたい! 死にたくない。

そう願うのは当然のこと、

だが、死は誰にとっても平等。必ずやってくる。

次のステージへと向かうために。

 

死なないように。

 

それは表面的なこと。

ある種のスピリットは神の力を手に入れたいと思うようになったか。

神になりたいと望むようになったのだろうか。

ひとの生き死を支配する。魂の本質を活かさない。霊(スピリット)とのつながりを遮断する。

 

大宇宙を神というなら、ひとは神の一部であり、神そのものだ。

しかし、ある種のスピリットが転生しひとになったとき、神とよぶのは低次の神界にあるスピリット。

光という闇を見せられ、堕ちた神・邪なるスピリットにそそのかされた神になろうとした人間。

それが、大宇宙の聖なるエネルギーから乖離した「スピリチュアル」という幽界を作った。

 

 

話を戻そう。

あの世とこの世の境界。猪目洞窟。

ひと的意識と霊的意識の葛藤。

 

その狭間にあったとき、父の入院・手術の話がでてきた。

葛藤の度合いがあがる。

 

目的の場所は、この世のあの世の境界。

 

わたしがそこに行くことで、父があっち側に行ってしまわないだろうか?

わたしがそこに行かないことで、父があっち側に行ってしまわないだろうか?

 

思考と感情が行きつ戻りつぐるぐる回る。

 

ハッとした。

 

自分軸がズレている。

 

わたしはいま、父を主人公にして自分の行動を決めようとしている。

 

わたしはどうしたいのだろうか?

 

いやいや・・・

 

わたしはどうするのだろうか?

 

わたしはどうする?

 

 

たとえグループスピリットでも、ひととして転生すれば分化する。

地球では、それぞれの課題を活きるよう宿命づけられている。

父は父の人生を生き、魂を活きる

わたしはわたしの人生を生き、魂を活きる

そして。霊(スピリット)がシンクロする。

 

わたしが父の人生を決めることはできない。生きることもできない。

 

わたしはどう活きるのか?

 

改めて魂を介し、霊(スピリット)につながる。

 

グループスピリット)は、「わたしというひと」を媒介し、どのように大宇宙を創造するか。

 

自分のエネルギーフィールドにグラウンディングし、瞑想する。魂へつながり、さらには霊(スピリット)とシンクロする。

 

猪目洞窟へ行こう!

 

この出来事はわたしにとってなにを意味するのだろう?

この出来事を前にわたしはなにを感じるのだろう?

わたしはなにを学び、気づき、解放し、叡智とするのだろうか?

 

グループスピリットの活動の車輪が動き出していることに気づく。

 

フォースが流れる

スピリットが反応する

エネルギーがシンクロする

動き出す

創造する

 

 

出雲 スサノオのエネルギーを感じる旅 2日め。

 

今回の神旅にご同行いただいた方が手配してくださり、この日の午前中は観光タクシーで周ることにした。

目的地が交通機関で巡るにはことごとく不便な場所にあったからだ。

待ち合わせは10時に出雲大社。

ならばと、ホテルで朝食を済ませ、バスで大社へと向かった。

 

昨日は、雨・あられ・雪と八百万の激しい歓迎を受けたが、この日は冬至。

思ったとおり、太陽が顔をのぞかせていた。

 

出雲大社 御本殿

 

素鵞社

ご祭神 素戔嗚尊

 

太陽の道 冬至のレイライン!

太陽の光が一直線につながり、素鵞社に入ってくる。

神の光線

それは東へもつながる。海を超え異国の地へも。

 

光の量の少ない季節。最大に光をおろす。

 

 

あとから気づいたのだが、複数の写真画像に不規則な緑の点々が集合しているようなものが写り込んでいた。

 

最初は龍神!と思っていたが、この記事を書かされる段階になって、大天使ラファエルと教えられた。

 

高い次元からのサポート!

 

 

 

神の光線をうけ、光となって現れた旅の守護者 大天使ラファエル!

 

この旅の間中、ずっと守護してくれていた。

 

 

本殿後ろから

陽に祈る。

 

 

本殿西側遥拝所から

陽に祈る。

 

 

拝殿をみながら

陽に祈る

 

 

季節は巡る

終わりと始まり

 

陽は弱まり

陽は強くなる

 

 

出雲大社をあとに、手配いただいたタクシーに乗り込む。

グループスピリットの導きのままに、この日行こうと思っていたのは3箇所。

そのうちのひとつ韓竈神社へ。

行程は運転手さんにお任せ。

ご同行くださった方が前日交渉してくださっていたので、とてもありがたかった!

 

2019年に出雲大社を訪れたときに気になっていたのは、大社後ろにある山だった。

そのときは意識していなかったが、山のスピリットがシンクロしていたのだろうか。

八雲山。

韓竈神社へはここを超えていくことを知り、とても嬉しかった。

 

神参りというと、えてして神社に行って、お参りして、そこがメインになりがちだ。

しかし、そうではなく、神旅中も、ひととしてあるときは気が抜けない。

いつなんどきメッセージがあるかもしれないからだ。

とくに宇宙神子はつなぐのが役目。

いつでも高い次元からのメッセージを受信できる状態にあるのがいい。

 

車内に流れている和やかな空気を楽しみながら、タクシーは韓竈神社へ到着!

 

韓竈神社

ご祭神 スサノオ神

 

「出雲国風土記」には『韓銍社(からかまのやしろ)』延喜式には『韓竈神社』と記載されています。江戸時代には、『智那尾権現(ちおごんげん)』と呼ばれていました。

祭神の素盞嗚命が新羅(しらぎ)に渡られ、わが国に「植林法」やタタラ製法、鍛冶技術などの「鉄器文化」を伝えられたとされ、カラカマのカマは、溶鉱炉を意味するとも言われています。

鳥居の800mくらい手前から道が狭くなり、杉木立の中を通っていきます。舗装がなく、携帯の電波も届かないところにあります。

鳥居をくぐると、急な石段が続きます。登ること約15分。 本殿手前には、難関の岩の割れ目を通らなければなりません。
幅が45cm位ですので、体格のよい人は断念せざるを得ない人もいるかもしれません。(出雲観光ガイドより)

 

おっと! ここで新羅!

メッセージがやって来たままに行動するので、神旅で訪れる場所の詳細な情報は事前に仕入れない。

前日訪れた日御碕神社内にあった韓国神社 → 韓国の音楽グループBTS → ランチで立ち寄ったお店近くのバス停近くにあった案内地図でみた韓竈神社。

韓の文字が韓国を思い出させ、スサノオの少しばかりの情報とシンクロし、新羅という言葉が出て来た。

しかし、それはわたしが知っていたこと、考えたことではなく、神旅が始まる以前からグループスピリットのエネルギーとシンクロしていたのだろう。

 

韓竈神社

タクシーは山道を走り抜け、徐々に道も狭くなって行った。

間もなく道路の突き当たりかと思える場所でタクシーは止まった。

すぐそこ、道路に面して鳥居がある。

 

一礼をし参道へ進む。

 

 

 

山道

 

 

山道 山道

 

 

階段

 

 

階段 階段

 

 

気持ちいい! けど、疲れる

 

 

 

疲れる。けど、気持ちいい!

 

 

 

 

幅45cmの岩の割れ目。

タクシーの運転手さんの説明によると、母胎のイメージ。

ここをくぐり抜けることは、生まれ変わり・再誕生を意味するという。

ならば、挑戦せねばとくぐってみる。

みるとやるでは大違い。結構狭い。

身体が大きいかたは厳しい。

 

 

岩の割れ目をくぐり抜けると、岩屋を背にスサノオ神を祀るお社。

 

シンプルだけど、ダイナミック!

地味だけど、強烈!

 

見ためと身体に伝わってくるものが違う。

 

 

 

この場に立ってみて理解できるエネルギーの場。

 

 

運転手さんに教えていただき、お社の後ろへ回ってみた。

視線も左に向けてみると、ここにも岩の割れ目。

この映像もまたいつかみたビジョンに似ている・・・。

 

 

そして、ここにもまた高い次元のエネルギー!

 

旅の守護者!

 

 

そろそろ帰ろうと、来た道を戻ろうとした時、母胎くぐりの岩の裂け目から光が射し込む。

 

神の光線

 

 

 

光の変遷

冬至の陽は、まさにいまうまれかわろうとしている。

 

 

光の儀式

光の饗宴

 

 

 

光はさまざまに表現する

 

 

そして、龍脈・・・

レイライン

 

 

 

 

母胎を再くぐり人間界へ再誕生!

 

くぐってすぐの場所がなんとなく気になり、光を向ける。

龍脈がすぐに反応する。

 

 

ここにはたくさんの八百万・精霊たちがいる!

 

お供の白龍神がウゴウゴすれば、そこかしこの龍神たちが反応し、すぐに龍脈が現れる。

 

 

 

強いエネルギーを発する龍脈に身体が反応する。

浄化が行われ、胸や喉のあたりに溜まっていた穢れが咳とともに排される。

 

 

来た道をもどり鳥居を抜けた。

 

次に案内されたのは岩船。

 

岩船伝説

韓竈神社は、「岩船」伝説でも知られており、この大岩は、新羅から植林法や鉄器文化を伝えられるときに、素盞嗚命が乗られた船であるといわれています。
(出雲観光ガイドより)

 

 

 

船の先端のような形。

 

 

韓竈神社に車で訪れると、岩船のうえが駐車スペースとなる。

 

 

岩船の先に滝!

 

 

暗竈神社から、次の行き先は鰐淵寺。

 

鰐淵寺

鰐淵寺は、推古2年(594年)に信濃国の智春上人(ちしゅんしょうにん)が出雲市の旅伏山(たぶしさん)に着き、推古天皇の眼の病を治すために当地の「浮浪の滝」に祈ったところ平癒されたので、祈願成就のお礼に建立された勅願寺であるといわれています。

この鰐淵寺(がくえんじ)という名前は、智春上人が浮浪の滝のほとりで修行をしている時に、誤って仏器を滝壺に落としてしまったところ、鰐(わにざめ)がエラに引っ掛けて奉げたことから“浮浪山鰐淵寺”と称するようになったということです。
平安時代末期には修験道の霊地として広く知られ、室町時代までは栄えていたといいますが、今はひっそりとした佇まいです。(出雲観光ガイドより)

 

 

韓竈神社とは山を挟んで反対側にある。

工事中らしく、途中でタクシーを降り、歩いてお寺を目指す。

 

自然のなかに身をおき、森羅万象とエネルギー交流!

 

 

ふとした場所にスピリットのエネルギーを感じる。

 

 

ほとんど車の来ない道路を歩き、お寺を目指す。

 

 

道の端にお地蔵さん。

旅人を見守っているのだろうか?

 

 

道路に沿って流れる川。

 

 

 

 

ここでも階段・・・

 

仁王門の先に本坊があり、そこから根本堂までは、かつてあの武蔵坊弁慶が釣鐘をかついで上がったとされる長い階段が続きます。
見事な紅葉で知られる鰐淵寺ですが、紅葉の時期以外はひっそりとした静かな時間が流れ、ここが修験道の霊地であったことをうかがわせます。
(出雲観光ガイドより)

 

 

紅葉が有名なお寺さんらしい。

時期は終わっていたが、紅葉の絨毯が綺麗だった。

 

 

根本堂

千手観音菩薩と薬師如来(いずれも秘仏)が本尊で,現在の建物は18世紀の建立。(出雲市HPより)

 

 

根本堂の脇には、摩陀羅神社。

 

摩陀羅神とは?

密教、特に天台宗の玄旨帰命壇における本尊で、阿弥陀経および念仏の守護神ともされる。(ウイキペディアより)

 

 

 

 

 

ここにもまた旅の守護者! 根本堂と摩陀羅神社の界に大天使のエネルギーをみた!

 

 

摩陀羅神社の横には、稲荷社

 

 

 

弁慶伝説ともなった鐘。

弁慶は仁平元年(1151年)松江市に生まれ、18歳から3年間ここ鰐淵寺にて修行をしたということです。その後京都の比叡山へと移り、源義経に出会ったと伝えられています。
壇ノ浦の合戦で平家を滅ぼした弁慶は再び出雲の地に戻り、鰐淵寺に身を寄せました。この道中、弁慶は「大山寺」(現在の鳥取県大山町の山中にある寺)の釣鐘をかつぎ、鰐淵寺まで約101kmある山道を一晩で持ち帰ったといわれます。(出雲観光ガイドより)

 

 

光を受ける根本堂

 

 

鰐淵寺に別れを告げ、来た道を戻る。

その途中に、仏たちが見守る登山道がある。

 

 

 

 

鰐淵寺の次は、今回の神旅の目的地 猪目洞窟。

恐くもあり、でも、それ以上に行かなければならないという強いなにかが湧き上がってくる。

 

そしてそこは、この世とあの世の境目といわれるには拍子抜けするほど人間の生活に密着している場所にあった。

 

 

 

 

猪目洞窟

一説には、大国主命の終焉の地とか。

 

 

 

ここから洞窟。

ひと的世界と霊的世界。きっぱり境界が作られている。

不穏なエネルギーは流れていないため、恐れを掻き立てられることはなかった。

 

 

暗闇に棲むスピリットが境界を教えてくれる。

ここからは入るべからずと。

 

 

 

 

ビジョンで見せられるのは、この映像。

わたしは洞窟のなかから、外をみている。

 

どのスピリットがわたしにその映像をみせてくるのか?

江の島 江島神社の龍宮でよくみせられるということは、龍神に関係するグループなのだろう。

 

 

お社にご挨拶!

 

 

猪目洞窟を訪れ、さまざまな気づきがあった。

 

まず、今回の神旅は、わたしの魂の解放、霊的成長のためのひとつのレッスンであり、イニシエーションでもあった。

それだけ強い意志で望んだ旅だった。

 

恐れをどれだけ手放し、その生を大宇宙に委ねられているか。

もし、わたしのうちに強い恐れがあったなら、父の大病を前にここへは来なかっただろう。来れなかっただろう。

神子の魂が、グループスピリットが導く。

神子はひとすじの道を歩む。大宇宙の聖なるエネルギーをなぞり、それをつなぐために。

聖なる愛の光で宇宙をつなぐために。

 

霊的進化が熟成してくると、それを試される出来事がある転生に配される。

第一に霊的意識で活きているか。ひと的都合で生きていないか。

後者であれば、大宇宙の法則が自動的に動き、霊的進化を阻む事象はことごとく排除される。

愛着のあるものでも、ひとでも、場所でも、事柄でも手放さざるおえない状況が設定される。

霊的には必要ではないとみなされたものは、なにからなにまで手放すことになる。自分自身までも。

 

巫病と同じようなことだろう。

シャマニズムの信仰において、巫病は神がシャーマンになることを要請しているのだと捉える。これは本人の意志で拒絶することが困難であり、拒んだために異常行動により死亡するという例も散見される。(ウィキペディアより)

 

まだわたしが幼く、霊的なことを意識することもなかった頃、それは母が代わっていたように思う。

その経験があったため、父の病気を前にし、出雲行きを決めた。

 

この世界には、異次元・異世界のルールに従い生き・活きるスピリットグループがある。

 

そして、光と闇についてのさらなる理解。

光という名の闇があることに気づいた。

 

この世界は二極化。

光と闇 裏と表・・・ふたつでひとつ。

 

それを光とみるか、闇とみるかは幽界にあるネガテイブエネルギーの量によっても違う。

猪目洞窟の暗闇をみたとき、想像していたより恐くなかった。まったく恐くなかった。

ひと的世界と精霊たちが棲む世界の界が明確に分かれていたので、そこに入ろうとは思わなかったが、恐いとは感じなかった。

あとから思い返してみると、うちなる闇が多ければそこは闇となり、うちなる闇が少なければそこは闇にはならない。

光に憧れるのは、闇多きからかもしれない。それが悪い訳ではない。

それが「ありのまま」なのだから。

 

そして、光、光と必要以上に求めているひとは、闇を光に転化するときが来ているのだろう。

だが、なかなか光が手に入らない。

なぜなら、自分の外に光を求めているからだ。

うちなる闇をひっくり返せば、光がみえる。

あっ! なるほど! 光はうちにあった!ってことになる。

 

そのひとを形作る、そのひとが保持しているエネルギーの分量。

例えて話すと、花子さんは500個のオセロの石を持っていました。

それは学校から全生徒に平等に与えられたものです。誰もが500個の石を持っています。

花子さんが持っているのは、300個は黒い石で、200個は白い石です。

太郎くんは400個の白い石と100個の黒い石を持っています。

花子さんは太郎くんの石をみて、自分ももっと多くの白い石が欲しくなりました。

「わたしも白い石を400個欲しい!」

それには、200個足りません。

そこで、他のひとから200個の白い石を調達することにしました。

頂戴から始まって、盗みまで、あらゆる手段と使って200個の白い石を手に入れようとしました。

それを見ていた幼馴染のみつこちゃんがあるとき言いました。

「花子ちゃん、黒い石をひっくり返してみて」

花子さんはみつこちゃんに言われた通りにしてみました。

そしたらなんと! これまで黒い石だと思っていたのが、ひっくり返してみると白い石に変わったではないですか! ちゃんちゃん。おしまい。

 

もちろん、闇を光に転化するとは、オセロゲームのように簡単なことではないかもしれないが、誰もができることであり、それを学び、行うためにひととなり転生してきた!

 

外側に光をみせ、探させるのはダークエナジーがみせるイリュージョン。

光という名の闇を彷徨っている。

 

荒ぶる神 スサノオ

光という名の闇 イリュージョンの霧を切り裂く。

そして、幽界に囚われた魂を解放する。

 

 

スサノオのエネルギーを感じる神旅!

どこの次元を歩いていたのだろう!?と思えることのハプニング続出。

 

霊的世界と限界はつながり

うちとそとはつながり

シンクロしあっている!

 

八百万とともに

精霊とともに

天使とともに

 

ある神旅はまだまだ続く!