わたしは「境界」にある。
一方をみれば、「ひと」としての世界がある。
一方をみれば、「エネルギー」としての世界がある。
わたしは「ひと」として生き、「エネルギー」として生きる。
意識を変性しながら、それぞれの世界に「ある」。
「ひと」の世界は物資化され、名前がつけられ、意味づけ・説明が必要。
あるひとは、それを科学と呼び、あるひとは、物理と呼ぶかもしれない。
数学とも、化学とも、工学とも・・・etc.
妄想・想像、ファンタジーとも。
正気と狂気のはざまともいうだろうか。
「学」で表現できないこと、説明できないこと、意味づけできないものは、「ひと」の世界では、排除されやすい。
なぜなら、「ひと」の根底、無意識層には「恐れ」がある。
過去生から続く、根深いネガティブなエネルギーがある。
意味が分からないもの、説明できないもの、先がみえないもの、頭で理解できないもの、大勢のひとが認めていないものは、恐い。
どう対応・対処していいか分からないもの、理由が見当たらないものは、恐い。
「境界」にあって、見える。
「ひと」の世界にある様々な「モノ」。大宇宙のエネルギーによって作られていないものがある。
それは、恐れなどのひとのネガティブなエネルギーが作りだした「モノ」。
実存するはずのないものが、輪郭ができ、型となり、ネガティブなエネルギーで太り、成長していった。
あたかも、人類創世からあるものののような顔して、人類によって救いとなるような風体をし、「ひと」の世界にあり続ける。
本来、宇宙に存在しないモノ。「真」ではないもの。
いまとなっては当たり前のような存在となっている「それら」は、細胞分裂のごとく「ひと」の世界に巣喰い続け、ひとのネガティブなエネルギーをエサにどんどん膨れあがる。
思考や感情をコントロールし、感覚を閉ざさせ「いま、ここ」から逸脱させる。
この生において魂との約束を反故にさせる。
それは、大宇宙の「真」ではないもの。聖なる愛の光が届かぬもの。
しかし、宇宙はその法則において、常にバランスをとろうとする。
どっちかに傾いたのであれば、それを補正するために大きな力がそこに向けられる。
徐々にそれが始まっている。
これまで大宇宙が許容していた「イツワリ」のエネルギーの浄化が行われる。
「イツワリ」のエネルギーが、ひとに、地球に、銀河に、宇宙全体に影響をおよぼす。