フォースとともにあれ! 苦しい時こそ、天を見あげる! 

2023.5.12  Chikako Natsui
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初めに、神は天地を創造された。
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、
神の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。

「光あれ」

こうして、光があった。

(創世記1・1〜3より)

 

 

森羅万象、万物すべてには神が宿る。

ここでいう神を言い換えるなら、光・聖なる愛・キリストエネルギー。

 

ゆえに、万物は、光・聖なる愛・キリストエネルギーでつながっている。

 

しかし、チリジリバラバラ、顕現様々、経験色々。

果てない旅の末に、ようやく光が見えてくる。

 

 

ずっと探し続けていた、光。

どこにあるかと外側ばかりを気にしていたが、

実は、自分の内側だった。

 

今度は内側へ向かう旅。

 

「人はパンだけで生きるものではない。
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」
(新約聖書マタイ4−4)

 

人は物質的なものと霊的なもの両方で成っている。

形あるものだけを頼りにすれば、動物的となり、
しかし、それを経験し、進み続けることで、一層、霊が大きく輝きを増す。

 

人はお腹がいっぱいになるまでは食べ続けるのだろう。

食べて、食べて、食べ飽きて、ちょうどの頃合いに、大きな扉がやってくる。

 

「進み続ける」

 

動物的人間 → 知的人間 → 魂的人間 → 霊的人間へと変性・変容するのが、地球での経験・学び。

 

大宇宙への帰還の旅は、内側へ入る扉を探すところから始まる。

 

人間をやっていると、平穏無事な日常が良いのが当たり前。

実は、その状態が長く続くと、魂の成長スピードが鈍くなる。

 

人は、苦しいから変わりたいと思う。

辛いから解放されたいと思う。

 

そのようなエッセンスが適度に人生には散りばめられる。

 

課題であり、

カルマであり、

 

それこそが、「大宇宙の愛」。

 

苦しくさせる、辛くさせる像を作り出すエネルギーがあることを見せられ、

 

見えずとも、

上がってこいよと、

手が差し伸べられている。

 

だから、苦しい時こそ、天を見上げよう。

 

ただし、差し伸べられた手をつかむかどうかは、自由意志。

 

 

留意したいのは、

 

手っ取り早く、

 

苦しい・辛い → 楽しい

 

を選択すると、

 

光には気づかない。

 

もしかすると、巧妙に仕掛けられたサタンのゲームかもしれない。

 

あの人、サタンだ!と、映画やアニメのように、敵キャラ設定があって、分かりやすければいいが、
人間やっていれば、大なり小なり、誰もがサタンのエネルギーは食べて飲んで、吸い込んでいる。
溺れるほどに、どっぷりハマっているかもしれない。

 

手っ取り早くは、やっぱり、手っ取り早くなのだ。簡略、省略。

そこは、見落としがち。

見たくない、見ないでおこう、見ずに済ませようとした部分に、「光」が隠されている。

 

すると、見落とした部分は、いつかどこかで、

いずれかの人生でシチュエーション違えど、再挑戦が求められる。

 

例えば、

「あれ? 前にも似たようなことが・・・」

「あれ? また同じパターンだな・・・」

「あれ? こういう人は苦手なんだよな・・」

という時は、チャンス!

 

 

冒頭に戻るが、

森羅万象。すべてに光が宿る。・・・はず。

 

光は見つけなけらばならない。

光は育てなければならない。

 

例えば、自然界。

この界隈のアップグレードは、人間界にかかっている。

 

人間の内なる光と異世界のそれは比例する。

 

 

産霊(ムスヒ)

 

光は、光に反応する。

 

 

天と地がむすばれる。

8・∞ が現れる。

 

8 キリストの復活を意味するという。

 

 

 

 

 

 

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夏井誓子
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