【祈り】フォースとともにあれ! 縁ある八百万が魂の本質を教えてくれる 7月 新月の日のライトワークは盛りだくさん! 東京スカイツリー 〜 牛嶋神社 〜 浅草寺

2021.7.15  Chikako Natsui
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意識の拡大は、行動が変わる。みえてくるものが変わる。

その過程で、エネルギーが変化してくる。

 

解放

気づき

行動

変性・変化・変容

意識の拡大

 

魂の修練

霊的進化は、その繰り返し。

 

それは、日常のほんの些細なことからなされていく。

 

 

7月のライトワークは、東京スカイツリー 〜 浅草寺界隈。

暑いなか、ご参加くださった皆さまにはこころより御礼申し上げます。

 

不穏なお天気続きの梅雨半ば。

それとはうって変わっての太陽がカンカン・ギラギラなお天気。

そしてこの日は新月! いつもと違うエネルギーの日!

 

暑い季節でもあるので、集合時間は少し早めの9:30。場所は東京スカイツリー。

残念ながら、営業時間前だったので、展望台へ上がることなく、下から眺めるだけとなったが、とにかく梅雨とは思えないほどの太陽の威力。

眩しくて、目を開けた状態でスカイツリーのうえのほうまで見あげるのも大変だった。

 

富士山へとつながるレイライン上にあるからだろうか。

受信と発信に余念がない。

電波塔という役割があるから当たり前なのだろうが、実際、近くまで行って分かるのは、大きな磁力。

光を集め、光を放射する。

 

 

 

 

面白かったのは、スカイツリーのこっちとあっちで撮影してみると、現れる顔が違う。

まるで、それは光と闇を表現しているようだ。

うえの写真が光なら、したの写真は闇。

これもまた光の加減なのだが、スカイツリーからなにかが天に向かって放出されているようにみえる。
また、ツリーを取り巻く雲。なにやら霊獣がクワッと口を開いているような・・・。

 

 

東京スカイツリーを離れ、一路、浅草寺へ。

あれこれ話をしながら、道々、光をつないでいく。

 

まもなく、「牛嶋神社」の案内をみた。

そのときはピンとこなかったが、境内の横を歩き始めた途端、あれ? なんだか、ソワソワするな。

牛嶋神社に氣が向く。

どうやら、この神社に寄る必要があるようだ。

 

「牛」ということは、スサノオ神かな。

朝から、そのエネルギーを感じていた。

 

牛嶋神社

ご祭神
須佐之男命
天之穂日命
貞辰親王命

御由緒
貞観二年(860年)、慈覚大師の御神託により創建。五年に一度の大祭では、鳳輦(牛車)を中心とする古式豊かな行列が氏子五十町安泰祈願巡行する。この神幸祭は、今日では珍しく黒雄和牛が神牛となり鳳輦を曳いている。(東京都神社庁より)

 

やはりご祭神は、スサノオ神だった。

スサノオ=牛頭天王

一説には、昔々、浅草寺で牛の妖怪が暴れていたとか。牛嶋神社に脇を流れる隅田川から牛鬼のような化け物が現れて牛嶋神社に飛び込んだとか。

そのため、牛嶋神社には撫で牛という像があり、病気平癒・健康祈願にご利益があるらしい。

おりしも、スサノオ神が祀られる京都 八坂神社では祇園祭の最中。

祇園祭といえば、疫病や怨霊を鎮めるための儀式。

まさにいま、シンクロすべく神スピリット!

荒ぶる神にご挨拶。

 

 

写真は撮っていなかったが、鳥居に神社の歴史の長さを感じた。

 

境内に入ってまもなく、石のスピリットが呼ぶ。陽の光が教える。

ここに光の儀式が必要だと。

掲載はしていないが、この日のライトワークにご参加いただいた方々にお並びいただき、光の儀式。

ひとの磁力が働いて、より強い陽の光を引き寄せることができる。

 

 

 

鳥居の前でも光の儀式。

一直線に降りてくる!

 

 

歴史の重みを感じる拝殿。

風も通すし、陽も入る!

 

 

そうこうしているうちに、レイラインが現れた。

 

急遽入った神社さんだったが、エネルギーの強さに、びっくり仰天!

 

 

牛嶋神社のうし!

 

 

 

牛嶋神社を後にして、今度こそ、浅草寺へ向かう。

隅田川を左にみながら、例年ならそろそろ花火大会の頃だったかな〜などと、いつもの夏に思いを馳せる。

 

そして、まもなく浅草寺というところまで来たもののの、左側から強めのエネルギーを感じ振り向く。

視線の先には、樹!

呼ばれているようなので、そちらへ向かう。・・・いつになったら浅草に着くやら!?

 

樹が呼んでいると思ったら、そこにあったのは弁天堂!

 

お〜弁天さんが呼んだのか!

 

弁天山

本堂南東にある小高い丘は、弁財天を祀る弁天堂が建つことから弁天山と呼ばれる。弁財天は池中の小島に祀られることが多いが、弁天山もかつては池の中にあった。現在、池は埋め立てられて公園となっている。
弁財天は七福神のなかの唯一の女神である。弁天堂のご本尊は白髪であるため、「老女弁天」と通称されている。この弁財天は神奈川県藤沢市の江ノ島弁天、千葉県柏市の布施弁天と並んで「関東の三弁天」として名高い。弁財天は、十二支の「巳の日」が縁日で、この日は弁天堂の扉が開かれて法要が営まれる。
(浅草寺HPより)

 

 

 

池っぽい場所があったものの、水はない。残念。

 

 

江戸の名鐘「時の鐘」

弁天堂に向かって右手に鐘楼があり、そこに掛けられている鐘は「時の鐘」である。鐘は元禄5年(1692)に五代将軍徳川綱吉の命により改鋳され、江戸の市中に時を告げていた鐘のひとつ。深川に居を構えていた松尾芭蕉が「花の雲 鐘は上野か 浅草か」という句を詠んでいる。
戦時中、多くの寺の鐘が供出を余儀なくされたなかで、弁天山の「時の鐘」は特に由緒がある鐘ということで残された。現在も毎朝6時に役僧によって撞かれており、大晦日には新年を告げる「除夜の鐘」が鳴らされる。(浅草寺HPより)

 

 

弁天さんへのご挨拶が終わって、今度こそ、浅草寺へと思ったが、実はすでにその境内。

何歩か進めば、ひとが行き交う賑やかな界隈へと入っていく。

 

おりしも、この日とその前日は、「四万六千日」といわれ、この日に参詣すれば、四万六千日(約126年間)日参したことと同様の功徳を得られるといわれているとのこと。

それもあってか、予想したより参拝客が多い。

さすが、東京の大観光地!

 

浅草寺

 

浅草寺は、1400年近い歴史をもつ観音霊場である。寺伝によると、ご本尊がお姿を現されたのは、飛鳥時代、推古天皇36年(628)3月18日の早朝であった。
宮戸川(今の隅田川)のほとりに住む檜前浜成・竹成兄弟が漁をしている最中、投網の中に一躰の像を発見した。仏像のことをよく知らなかった浜成・竹成兄弟は、像を水中に投じ、場所を変えて何度か網を打った。しかしそのたびに尊像が網にかかるばかりで、魚は捕れなかったので兄弟はこの尊像を持ち帰った。
土師中知(名前には諸説あり)という土地の長に見てもらうと、聖観世音菩薩の尊像であるとわかった。そして翌19日の朝、里の童子たちが草でつくったお堂に、この観音さまをお祀りした。「御名を称えて一心に願い事をすれば、必ず功徳をお授けくださる仏さまである」と、浜成・竹成兄弟や近隣の人びとに語り聞かせた中知は、やがて私宅を寺に改め、観音さまの礼拝供養に生涯を捧げた。(浅草寺HPより)

 

何度も浅草寺を訪れたが、意識の持ちかたが違うと、氣が向くものが違ってくる。

これまで、雷門は、大きな提灯。それだけだった。

それにもまた、意識が変わると存在の意味を知りたくなる。

 

雷門

雷門は浅草寺の総門であり、正式名称は「風雷神門」という。その創建年代は詳らかではないが、平公雅が天慶5年(942)に堂塔伽藍を一新した際、総門を駒形に建立したと伝わる。
風雷神門の名は、風神と雷神を門の左右に奉安していることに由来する。総門が現在地に移ったのは鎌倉時代以降のことで、移築の際に風神、雷神を安置したとも考えられている。風神と雷神は名のとおり風雨を司る神であり、風水害を除け、伽藍を鎮護するために祀られた。同時に、風雨順時と五穀豊穣の祈りも込められている。
風雷神門がなぜ「雷門」と呼ばれるようになったかは不明であるが、文化年間(1804~18)の川柳に、「風の神雷門に 居候」という句が見え、この頃には雷門という名称が一般化していたようである。(浅草寺HPより)

 

そういえば、四万六千日限定の雷除のお守りが売られていた。

サラリと流していたが、次の日、東京各地は雷に見舞われている様子が報道された。

昔々から、雷被害が多い地だったのだろうか。

 

 

 

この日の参加者さまのおひとりは、浅草にご縁のある方。

浅草寺をよくご存知ということで、いろいろと教えてくださった。

そのうちのひとつ!

雷門の提灯の下には、龍の彫刻。

ご立派!

まったく知らなかった。

 

 

ふたつ目の門、宝蔵門を抜ける。

本堂前で、線香を手向けたあとは、やはり特別な日、本堂でお参りする人びとの列に並ぶ。

四万六千日の正式参拝のための読経が絶え間なく行われている。

マントラを聞きながら、お参りの順番がくるのを待つ。

 

ひとのいない、シーンとした神社仏閣に参るのもいいが、

お祭り日、人びとのエネルギーに満たされた場所に参るのも、陽の氣に包まれて、これもいい!

浅草寺はひとが大勢参るからこそ、鎮まる、守られる。

そんな風に思えた。

 

 

浅草寺から、隣の浅草寺を経て、ランチタイム!

 

決めていたカフェではなく、予定変更で、別の洋食屋さんへ入った。

その選択は間違いなく、実は、予定のカフェがお休みだったのだ。

 

食事をしつつ、よもやま話のなかに、ワークショップの内容を少しずつ盛り込んでいく。

この日のテーマは、癒しと浄化。

地にあるスピリットのエネルギーを借り、それは行われる。

逆に、ひとが道管になってその地にエネルギーを落とす。

陰になり、陽になり、シンクロしあう。

 

 

食事のあとに訪れたのは、浅草富士浅間神社!

 

浅草富士浅間神社

 

富士信仰が最も盛んであった江戸時代、富士山参拝は江戸庶民にとって生涯の夢であった。しかし当時は交通事情も悪く、そうした中、富士山崇敬を目的とし「富士講」が結成され、全国各地に浅間神社の勧請が行われた。富士山山開きの6月1日(現在は7月1日)には、富士参りの出来ない人々が、各地元の浅間神社に参詣した。そうした富士山遙拝所として当社が創建された。 当初は、現蔵前の三好町に勧請・分祀(御神霊を頂くこと)され、その後幕府の命により昔は富士に似た森厳なる小丘であった現在地(浅草五丁目)に移されたとされている。(浅草富士浅間神社HPより)

 

 

 

 

小さな境内。

日陰にホッとする。

 

 

境内には、小さい富士山!

富士遥拝所。

 

もちろん、登ってみた!

 

 

盛りだくさんのライトワーク!

江戸の賑やかなエネルギーを感じるなら、まさしく、ここ・浅草へ!

 

知ってみれば、この辺りにも数々の神社仏閣がある。

地にあり、地を守り、人びとを守り、鎮まっている。

これまでは、東京は仕事する場所、神社仏閣を参るなら関西と意識していた。

いやいやどうして、日本全国、神社仏閣、八百万だらけ。

誰にも、縁のある八百万がある。

それを知っていくことで、魂の本質が理解できるように思う。

さらに、どう生きるのか? どう活きるのか?

地にある、天にある八百万が教えてくれる。