八百万(ヤオヨロズ) 我、人を使うにあらず その業を使うにあり (武田信玄) 

2018.3.10  Chikako Natsui
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八百万は突然やってくる。

「いまがその時」だと。

この写真を出すときがいつなのか?

全ては八百万が決めること。

私はただそれを正確にキャッチする。

このところ、荒ぶる神々は
なりを潜めていた。

その代わり、去年撮った
1枚の写真が何度も頭の中に
浮かぶ。

そろそろなのか?

何度も八百万に問う。

全ての魂は神様の分け御魂。
そのこころには神が宿る。

問う。

「いまなのか?」

無言・・・。

違うのか・・・。

その繰り返しの数日。

私の行動に理由はない。

ただ、それがしたいから。

答えは後から付いてくる。

デスクトップに保存していた
その写真を久しぶりに見たく
なった。

途端にサードアイのチャクラが
疼く。

今なのか?

このエネルギーを必要とする
魂があるのか?

武田信玄公を好きな人たちの
顔が浮かぶ。

そんなことを逡巡していたとき、
去年開催した「神様カード」の
イベントに参加された方から
メッセージをいただいた。

全ては必然。

Cosmic Academy Japanが
動きだして、間も無く1年。

それからの変化は物凄かった。

私自身のアセンションと、
それに伴う変化。
その周波数と合わない環境から
離れることを余儀なくされた。

それはすべて必然。
魂の設定。

そして、また、
次のアセンションが
近づいている。

八百万からのメッセージ。

自然のスピリットと
ひとのスピリットの融合

この世界は人間が主役ではない。

様々物質があり、そこには
スピリットが宿る。

物質対物質には、
ホントウは無い。

魂・スピリットにこそ、
ホントウがある。

明日は、3.11。
東日本大震災。

自然のスピリットがが
大きく大きく人間へ
語りかけた日。

あの経験で人間は何き気づき、
何を学んだのだろう?

それを叡智として、
どう活かすのだろう?

東日本大震災から1年が過ぎた頃、
岩手、宮城の沿岸部、被災地を
訪れた。

その場所が近くなってきたとき、
心臓の鼓動は早まり、
エネルギーが変わったことが
肉体が先にキャッチした。

その時はまだ分からなかったが、
亡くなった方々の霊や、
朽ち果てた自然のスピリットが
私の元にやってきていたのだろう。

その日はエネルギーの不協和音が
鳴り響き、落ち着かなかったことを
覚えている。

霊に取り憑かれたのかと、
コンビニで塩を買った。

「死」が私の課題。

その場所をどうしても訪れる必要が
あったのだろう。

魂の導きと教え。

私の行動は全て無意識。
誰と何をするかは、全て魂が
きめている。

ライトワーカーが集める光が
必要だったのかもしれない。

見えざるエネルギーにさらされ、
何かを感じ、受け取る必要が
あったのかもしれない。

様々なスピリットが集合し、
魂の共鳴がおこった。

その地に住まう人間のスピリットが、
大自然のスピリットが、亡くなった方の
スピリットが様々なことを教えてくれる。

目には見えずとも、この三次元の世界には、
あらゆるスピリットが混在し、メッセージを
送っている。

そして、ひとは、

「生かされている」

「我、人を使うにあらず。
その業を使うにあり。」
(武田信玄)

(富士山本宮浅間大社 武田信玄公の顔が写っているとされる木)