宇宙の一番大切なもの? cosmic connectのブログ vol.10

2017.8.4  Chikako Natsui
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どうしてスピリチュアルの世界を発信しようと思ったのか?

と、問われれば、私にとってはその「世界」は特別ではなく「スピリチュアル」と代名詞をつける
必要もない、いたって日常だ。

また、今なら魂のお約束であり、それをするために生まれてきたからだと答えるだろう。

でも、社会生活をしているとその価値観や言動が不思議と思われ、
他者の頭のうえに「???」マークが出ていることに、こちらも「???」がしばしばだった。

そんなわけで、以前は反射的に「あれ?今、ここではこれ言っちゃいけなかった?」
「あれ?今はそれじゃない?」と、その場に合わせるように自分自身を調整してきた。

「とりあえず、浮かないようにしとこ」そんな感じだったかな。

調整という言葉は、なんらかの「枠」や「基準」をイメージさせる。

そして、その基準に合わせるようにしなければならない。

ところで、合わせようとしているその「基準」とは何だろう?

社会という枠なのか? 親からのしつけなのか? 学校で習った道徳なのか?

集団の規律か? 他人の意見か?

ハマらなければならない、目に見えない「枠」が突然出現する。

そもそも、大いなるもの=宇宙の一番大切な法則は「愛」だ。

そこに差別や戦い、勝ち負けはない。

だが、永い永い永い、気の遠くなるような時間をかけて人間は「枠」や「境界線」を作りあげ、
挙げ句の果てに、その枠を守るために差別や戦いを繰り返している。

「こっちの枠が正しい!」「いやこっちの枠こそ正当だ!」

「この枠に負けてはいけない!」「あそこの枠はこうだから、真似しなければ!」

その「枠」とは、国家であったり、何かの団体であったり、会社であったり、
個人という小さな単位での争いの場合もある。

だが、人によっては・・・違うな。
魂によっては、なんらかの「枠」や「境界線」をあまり必要としない人間がいる。

それらの多くの人々の中には、もしかすると「スピリチュアル的な人」も多いかもしれない。

それらの人々は、枠の厚みや強度がないので、外からの刺激を受けやすいのではないだろうか。

意識に上がっている「スピリチュアルな情報」を発信したいと思ったきっかけがある。

やはり、反面教師でもある亡くなった母だ。
母が、スピリチュアルな体質と言っていいかどうかは判断しかねる。

敏感体質で、外的刺激に対しての反応は私と母は似ている。
おばや従姉妹もそういう体質なので、これは家系的なものだろう。

というか、私がそういう親を選んで生まれてきた。

スピリチュアルと呼ぶ必要もないほど、霊的なことが身近である家庭を選んで生まれてきたのだ。

魂のお約束を経験するために。

だが、私と母のスピリチュアルに対しての認識は大きな違いがある。

「知識」だ。

親娘とも、元々センシティブな体質で、外的要因を影響をうけやすかったわけだが、
その先の対処の仕方が違う。

外的刺激がある →

「なんだろこれ?」「なんか変だな、私」 → じーっとする → 修復不可なら →

調べる → 理解する → 対処する → その他へ展開する。

外的刺激がある →

怯える → 体調をくずす → 病院 → 薬 → その繰り返し → いわゆる悪循環!

母娘といっても別の人間。

体質も全く一緒ではない。

また、生まれた時代背景や情報量、その取得方法が違う。

そこに、前世からの魂の約束や経験値など様々なことが絡みあっての「いま」がある。

それらの経験から思うのは、自分が「敏感な体質」であると、自分自身を理解するだけでも、
その後の人生は違ってくるということだ。

もちろん、敏感体質=スピリチュアル体質=波動が高い、とはならない。

敏感体質のために、その恐怖から波動の低いものを寄せ付けてしまうこともある。

波動が低いものがくっつき、体調を崩し、さらに波動が低くなる・・・という悪循環となることもある。

年齢を重ねれば重ねるほど、何も取り付いていない「素」の状態がどんなだったか思い出せない。

正直なところ、「スピリチュアル」のホントウを思考で理解することはできない。

それは、ただ「識っている」だけにすぎない。

「スピリチュアル」のホントウは自分自身を感じ、体験し続けた中に「気づき」がある。

そして、自分自身を感じ、体験し続ける王道は「瞑想」だろう。

だが、現代人は思考が忙しく、また前世から今世にかけてできた心の傷が邪魔して、
「瞑想」し続けることが苦手な人も多い。

この世の中には、様々な手法や技術がある。それを一つのきっかけに「自分自身を体験し続ける」ことは
できるかもしれない。

そんな時、情報や知識は一つのきっかけになるのではないかと思っている。

私の母が生きた時代に、もし「スピリチュアルの情報」が世の中に発信されていたのなら、
母の人生も、もう少し違っていた・・・かも・・・しれない。

もしも今、様々なことに恐怖を感じる、敏感すぎて生きづらいなどという方は、
まずは、自分自身がスピリチュアル体質なのではないか?と、考えてみるのもいいだろう。

さて、今の私はというと、外的要因の刺激をうけても、流すことができるようになった。

例えば、波動の低いものを感じたとしても、それを自分の中に取り込まなくなった。

また、波動の低い場所に行かないよう、波動の低いものが私に近づかないよう、
スピリットガイドが私に強くメッセージを送り、常に安心安全となるように守っていることを感じる。

ただ、それを信じていればいい。