何をされた訳でもない!でも、このひと苦手なんですぅ〜 生理的にダメなんですぅ〜は?

2019.3.15  Chikako Natsui
/ / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / /

 

魂の一生。

光から始まり、光へと戻っていく。輪廻転生を繰り返しながら。

大いなる宇宙から分裂したばかりの頃、魂が若い魂はカルマをどんどん作っていく。

何度も転生を繰り返し、成熟した魂は、作ったカルマを手放していく。

 

それは、まるでオセロゲームのようなもの。

ルールがちょっと違う。

ゲームの始まり、ボードのうえはすべて白い石。若い魂は、それをどんどん黒い石にしていく。
カルマがたっぷり溜まっていく。

 

オセロゲームだけではない。生きるとは、あらゆるゲームが重なりあって、同時進行している。

ゲーム好きにはたまらない!

 

輪廻転生。

何度目かのゲームの頃には、魂はすっかり大人。

今度は、黒い石を白へ変えるときがやってきた。

 

でも、なかなか白には変わらない。

黒にするのは簡単だった。それに慣れすぎてしまって、黒を白にする方法が分からない。

ゲームの仕方が変わったのか?

 

どうやら、白を黒にするのと、黒を白にするのでは、ゲームへの意気込み、マインド、取り組み方が違うようだ。

では、誰かにやり方を教えてもらおう! ヒントをもらおう! ネットを検索しよう! マニュアルを見よう!

そう思って聞いた相手も分からないという。

 

あれこれ試行錯誤しながら、ゲームを続けてみたものの・・・。

ゲームオーバー!

時間切れ。「今生」という部屋のゲーム時間は終わってしまった。

 

部屋を出るときに、オセロ盤を振り返る。

ここでは、黒い石を2つ白に変えただけだったな・・・。

 

入り口のところに立っていた係のひとに声をかけられた。

「オセロ盤は、次、行かれる部屋にもって行っておきますから! ご心配なく!」

 

魂の一生は、白を黒に変え、黒を白に変える旅。

一度始めたら止められない。

ひとつの石に「人生」「カルマ」・・・様々な課題が設定されていて、ゲームがなかなか終わらない!

 

さて、あなたのオセロ盤は、白が多い? それとも黒?

 

 

ひとは誰も、自分の人生のゲームマスター。

魂というマニュアルを読み解きながら、様々な人生でゲームをしている。

 

魂の課題がひとつ終わったなら、オセロ盤のうえに並べられた黒い石は白に変わる。

 

だから、人生は最初からキラキラしていない。

黒い石、べたついた石、ドロドロした石、汚い石かもしれない。

それを白い石、輝いた石に変えていくのが、生きることの意味。

輪廻転生の意味。

 

自分のオセロ盤でゲームをせずに、隣のオセロ盤でゲームをすることはできない。

 

自分のオセロ盤を見つける。

自分のオセロ盤にのった黒い石にどんな課題があるのが見つける。

 

それには、自分の内なる声を聴くことが手掛かりとなる。

それには、自分の肉体とこころの声に耳を傾けることだ。

 

自分に向き合うというと、大層なことをするようだが、なんだか怖いように思うかもしれない。

始まりは、自分の悩みを把握すること。

そして次は、それに対して自分がどう「感じている」のかに気づくこと。

 

自分の内に「黒い石」があることに気づくこと。

それだけでも、自分のエネルギーや周波数が変わっていく。

そこから先は、洗うのか、拭くのか、やり方は様々。

 

見ないふり、気づかないふり、知らないふり、聴かなかったふりをしていては、黒が白に変わることはない。

 

自分をみたくなくて、自分の内なる声に気づきたくなくて、忙しくしてみたり、他者の世話に明け暮れ、それが善行、世のため、ひとのためになる!的な考えに囚われて、自分の傷や痛みを気づかず、放置していても、黒を白に変えることはできない。

他者より、まず自分!

 

他者のゲームに参加していても、肝心な自分のゲームが進まない。

 

魂は、この世界を生きて経験することで、その本質をマスターするために転生を繰り返す。

だから、自分を見ずして、気づかずして、転生サイクルを終えることはできない。

 

ひとの中に生き、自分と他者の違いを知る。自分と他者の境界を理解する。エネルギーの違いを理解する。

他者に自分を映しだして、自分を理解する。

 

黒い石が多めだと、自分よりも他者、自分の内より外に意識がいきがちで、そっちをどうにか変えよう、コントロールしようとする。

 

他者を理解する前に、自分。

自分を理解することで、他者を理解できる。

 

他者を癒す前に、自分。

自分が癒されれば、他者も癒される。

 

他者の幸せに奔走するより、自分。

自分が幸せになれば、他者も幸せになる。

 

自分の内が幸せなら、自分の外の世界も幸せになる。

 

だから、辛くても、苦してくても、他者の中で生きようとする。

どんな魂もひととの関わりによって自分をマスターできる場所を選んで転生してくる。

成人の魂ならなおさらそうで、他者の中で混乱しながら、いっ時自分を見失い、そしてまた自分を見つけだす。
それによってカルマを解消する。

自分探しとはよくいったものだが、ホントウの自分と出会うために、散り散りバラバラになった魂のかけら、光の破片を集めるている。

だが、それがなかなか難しいゲームだ。

オセロゲームの石を変えるには、合間に、コミュニケーションゲームやレクリエーションゲームをこなさなければならない。

多種多様なゲームを同時に複数こなしながら、大宇宙へと還るために自分を探すゲーム。

 

 

前のサイクルでひとに裏切られ、地獄のような苦しみを抱え、その人生を終えたとしても、生まれ変わってもやっぱりひとの中を生きる。しかも、裏切られ、憎みきれない相手の魂も生まれ変わり、因縁とも思える出会いをする。
最初からこのひとなんとなく苦手だった。出会ったばかりだし、何をされたわけでもないのに嫌な気持ちが湧き上がってくる。

それは、前世から続く縁、そして、時空を超え、自分の中に残っているネガティブな感情がそのひとに映しだされたからかもしれない。

そのような縁は、大概人間関係で揉める。もしくは、あのひとと関わるとロクなことがないという事象、現象が起きる。

前世から続く因縁。お互いがそこで何かを学び、気づき、許し、手放すために、また出会わされている。

 

嫌だから、嫌いだからといって避けたり、逃げたりしても、3年後にまた似たようなシチュエーションで、似たような出会いとなって、前世から続くカルマがやってくる。

 

黒い石を白い石に変えない限り、それは続く・・・。