天と地をつないでいたら、うっかりあなたの知らない世界をみた!

2018.12.13  Chikako Natsui
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天と地をつないでいたら、うっかりあなたの知らない世界をみた!

・・・ってが、それが天と地をつなぐってことね。

 

天と地をつなぐ・・・。

 

それが意味するホントウを体感、実感した。

身体で感じ、こころで理解し、そして、魂と一致するセッションが続く。
霊体のアセンションによって、見える範囲、広さ、深さが変わったのだろうか。

ガイドたちから見せられる映像、送られてくるメッセージもこれまでとは違う。

 

 

改めて、この世界はひとつなんだと思える。

好む、好まざるに関係なく、あらゆるエネルギーが在り、因縁によって引き寄せられたり、離れたりする。

人間、生物、自然環境などの生きとし生けるものだけではなく、無機質なもののエネルギー体としての存在を無視することはできない。

 

それは、次の縦の世界にも存在する。

 

神界のエネルギー

霊界のエネルギー

幽界のエネルギー

 

そしてこの世界は、横の世界と縦の世界が交差し、影響しあっている。
その中心にあるのが「わたし」という、ひとりひとりの「人間」だ。

 

「わたし」を介して、横と縦がつながる。

 

例えば、ぬいぐるみは生命をもたない。しかし、それを構成する物質は加工前の材料は生物から抽出されたものかもしれない。最終的な形となったぬいぐるみは、原材料、生産者、販売者などのそれぞれのエネルギーなどを有する。
さらにそこには、持ち主の想念、思念などが加わりぬいぐるみのエネルギー体として表現される。

持ち主の愛着が強ければ強いほど、それは想念となって対象物になんらかの影響を及ぼす。

このように無機質なものでも、人間などのエネルギーによって、アバター化していく。

それは自然環境であっても同じこと。

様々なエネルギーが縦に横に交差し合い、その場に、良いエネルギーの流れを作ることもあれば、ネガティブなエネルギーが停滞することもある。

アセンション続きのせいか、このところのセッションでは、様々な映像を見せられ、メッセージが送られてくるようになった。

以前までは、目の前の「ひと」のエネルギーを介して、心身の状態、人間関係、仕事、食べ物、その他、その方が悩みに思っていることの周辺だけだけが見えていた。

私の魂の居場所が変わったのか? 第三の目で見える世界の範囲が変わった。広くなった。

以前は、ビルの2階あたりをうろついていたけど、15階に上がったら、見晴らしが違う!という感じだろうか。視野は広く、遠くまで見渡せる。

さらに奥深く、現象世界の裏側が透けて見える。

以前同様、目の前の方の、肉体やメンタルの状態、人間関係など直近の悩みや苦しみなどのこともあれば、その方に縁のある八百万や精霊たちからの映像やメッセージのこともある。
時にそれは、無機質なものに取り憑いた霊体、邪霊や動物霊などのこともある。
縁のある人間関係においてのネガティブなエネルギーが像をなすこともある。

八百万や精霊たちが見せるのは、異界同士がバランスを崩している映像が多い。
その多くは、人間界と自然界の境界がうまく保たれていず、長い年月のうちに、八百万や精霊たちの領域を人間がその形を変えてしまったというものだ。

そもそも神社がある場所は、人間的にいうなら、その昔は自然災害が多い場所だったりする。
山が崩れたり、川が氾濫したり。

昔のひとは、自然災害は荒ぶる神の所業として恐れていた。
そのために、荒ぶる神を鎮めるために神社などを作ってお祀りした。

鎮めたまえ、守りたまえ・・・と。

 

 

しかし、現代社会。

そんなことを言っていては、人間が住める場所は無くなる。
経済や便利さを追求するあまり、八百万や精霊にとってよろしくない方法で自然環境を不自然に変えていった。
目に見えない神様には、目を瞑ってもらって・・・が、行き過ぎたのか、時間経過によってか、エネルギーバランスが崩れた。

異界同士の調和が崩れ、それがこの世界に様々な現象として現れる。

 

不調和。不協和音。

 

また、それは無機質なものであっても同様。

人間のネガティブな想念や思念が取り憑いた「モノ」は、独特のエネルギーを発する。

例えば、ここに200年以上も前に作られた刀がある。
長い年月、何人ものひとの手に渡り、都度その想いを受け止めてきた。
「感情」というエネルギーを吸い取ってきた。
苦しみも悲しみも、喜びも、笑いも、もしかしたらひとの血も吸っているかもしれない。
そしてさらなる時を経て、刀を取り巻くエネルギーが邪霊と化すなどの例は、案外多い。

作られた時には、正神も良い精霊も宿っていた。
それが年月を経て、ひとの邪なる想いを巣食って低級霊と化した。

堕天使の例もあるように、神が鬼になったり、鬼が神になったりするなどの話はよく聞く。
鬼子母神などはそれだろうか。
逆に付喪神などはひとをたぶらかすものへと変化する霊もある。

そもそも生命体ではなかったものも、ひとの邪なる「氣」が入ることで、邪霊となり、ひとを操り、惑わせる。まるで、初めからの命があったような振る舞いになることもある。

邪霊に取り憑かれたひとは大変だ。

生きることとは選択の連続だが、邪霊操作によって、誤った道を選ばされ続ける。

心身の状態によって、取り巻くエネルギーが変わる。
神や仏も見せれば、鬼が見えることもある。

邪なる霊。ひとのネガティブなエネルギー。妬み、嫉み、憎しみ、悲しみ、苦しみ。
それが大きくなればなるほど、邪霊を作り、それに飲み込まれれば、自分自身が邪霊となる。

神となるか、鬼となるかは、そのひと次第!

 

天と地は

ひととひとの出会いでつながる。

ここは様々な異界が共存する世界。

神もいれば、仏もいるし、様々な精霊たちもいる。
邪霊もいれば、幽霊もいるし、天使も、妖精も、鬼も、小人も・・・。
物質的に見えなくても、エネルギーとしては存在している。

しかしそれらは、見せたいと思う人間にしかコンタクトしない。

その周波数をもつ魂、その役割をもつ魂、その時がきた魂、そんなことがあった魂。
そうなっちゃった魂。そうしたい魂。

自分の力で見ているつもりでも、それは「見せられている」のだ。
神と出会うか、鬼と出会うかはあなた次第!

 

 

このところ様々なエネルギーとの出会い、経験があった。
この世界は、様々なエネルギーがある。それをホントウと見るか、
嘘だろ〜と思うかは、そのひと次第!

しかし、「あなたの知らない世界」や「世にも奇妙な物語」を、
私には見えている。