増田智己

2018.3.8  Chikako Natsui
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手刺繍入りの絵画を制作しております、増田智己(マスダトモミ)です。

小さな頃から絵を描くこと、そしてスピリチュアルなことがとても好きでしたが
そのことを表に出すことはあまりありませんでした。

小学校の頃の将来の夢は絵を描いて生きていくことでしたが、
そんなこと言ったら笑われるとなぜか思い込んでおり、文集などには「花屋さん」と
嘘を書いた記憶があります。

また、人は死んだらどうなるのかや、霊的な存在にもとても興味がありましたが
こちらはさらにそういう気持ちや興味を誰かと共有することはまったくなく、
ただただ自分ひとりの中で考えたり、本を読んだりしているだけでした。

なぜって、言ったら怪しい人、と思われ友達は人っ子一人いなくなる、と本気でずっと
思っていたからです。
スピリチュアルなことを表に出していける人を見ては

「なぜこの人はこんなにおおっぴらに出来るのだろう」

と不思議に思うばかりでした。

 

でも今現在は、自然とそういったことが好きな方とのご縁が出来たり、私がなぜそんなに
表に出すことを恐れていたのかの原因も知ることが出来たので、少しずつ出していっていいんだ、と
思えるようになり、今ここにいます。

 

絵の活動に関しても、ずっとやりたいと思いつつどう活動していったらわからなくて、
勝手にもう活動なんて出来ないかもしれないと思い込んでしまっていたりして、
なかなか踏み込めずにいました。

それを、一生絵を描いていく、と覚悟を決めさせてくれたのは
「子どもの死」でした。

今もひとり愛娘がいますが、その前にひとり子どもがいました。
その子を2歳の頃に心不全で亡くします。急死でした。

自分よりも絶対に先に死ぬはずなんてない、と思い込んでいた
毎日毎日一緒に過ごした存在が、ある日突然動かなくなってしまった。

その出来事はそれまでの私のすべてを変えました。

そして、一緒に過ごしたこと、亡くしたことでとてもたくさんのことに気付かされ、
また悲しみに打ちひしがれていたときに自然と

「絵を描いていけばいいのかもしれない」

と思わせてくれた出会いや出来事があり、絵を描いて活動していく覚悟を決めたのです。

 

絵を描く、ということは子どもの頃にはみんなやっていたことですが、
大人になるにつれ、だんだん描かなくなっていく人がとても多いのではと思います。

でも絵を描く、ということは歌ったり、踊ったりすることと同じように
自分の気持ちをすっきりさせたり、心の開放につながることのひとつです。

 

私自身、絵を描くことで亡くした子どもへの悲しみと向き合い、
次へと進んで行く力になったことは確かです。

絵を描いていなかったら、もっともっと長い時間、悲しみの中に
いたのではないかと思うのです。

 

アートセラピーというものがあるくらいですから、絵を描くことで
自分自身を癒していく力はあるはずです。

でも大人になると絵を描く行為は「視覚的なイメージ」が優先して
「見たものを上手に描かなくてはいけない」と思いがちです。

思いがちですが、上手に描かなくてはいけない、という決まりもありませんし、
上手に描くことだけが絵ではありません。

自分が描きたい色で、描きたいように、描きたいものを描く。
それも絵ですし、描きたいものがないのなら、好きな色で色を塗るだけでもいいのです。

 

子どもでも同じです。
本来子どもの頃は「自分を表現するため」に絵を描きます。

自分が経験したことを外へと表現するための自己表現のひとつです。
赤ちゃんがウンチやおしっこでお尻が気持ち悪いと泣いて表現することと同じこと。

なのに、大人がいろいろと口出しし、「自己表現」ではなくなると
絵を描くことが嫌いになってしまいます。

そんな子どもを増やしたくはありませんし、大人の方にはもっと絵を描くことを
楽しみのひとつにしたり、心の開放につなげていってほしいのです。

そうして、絵を描く人が少しでも増えていってくれたら嬉しいなと思うのです。