人間界のくせ者、価値観という『ものさし』 森と魂のセラピスト 飯田みゆきコラム No.2

前回のコラムで、
「真の自己とは多面性を持った自分」
ではないかと書きました。

自分の中の多面性に気づくと、
他の人を許せることが多くなるような
気がしています。

ヒトが生きづらさを感じるときは、
ほとんどが他者との関係で悩む時です。

なぜ、他者との関係は、
こんなにも難しいのでしょうか。

誰もが、自分の『ものさし』を持っています。
自分の価値観、自分の信念、自分のやり方。

今まで、生きるために
必死になって培ってきた『ものさし』。

ところが、その『ものさし』は、ひとそれぞれ。

違う『ものさし』で測りながら、
あーでもない、こーでもない、と話しあっても、
しっくりこないことが多いのではないでしょうか。

私は、思春期の頃から、

「他人に気を使って、
他人が望むことを考えて、
他人に合わせて生きる。」

という『ものさし』で生きていました。

考えすぎて立ち尽くしてしまこともあり、
「あなたは気が利かない人ですね。」と、よく言われたものです。

そして、

「こんなに気を使っているのに。」
「こんなに頑張っているのに。」
「まだまだ、頑張りが足りないんだ。」
「だから、もっと頑張らないとダメなんだ。」

と、グルグル思考の中をさまよい続けていました。

ところが世の中には、頑張る様子もなく、
自然体で気が利き、慕われている人もいたのです。

「神様は、不公平だ。」

ずっと、そう思っていました。

しかも、自分が頑張って気を使っていたので、
気を使わない人にもイライラしました。

いつしか私は、
自分が大切にしてきた『ものさし』によって、
がんじがらめになっていました。

自然界は、
人間界の『ものさし』とは関係なく生命が躍動し、
生態系が営まれています。

そこは、ただ自分が感じることを、
“そのまま感じる”ことが許される場所です。

自然界と親しんでいるうちに、
私は徐々に自分の内に隠れていた”真の自己”のカケラを
うすぼんやりと感じるようになっていきました。

「やりたい」ことをやりたいと感じ、
「やりたくない」ことをやりたくないと感じ、
「人からよく見られたい」とか、
「私って有能だわ」とか、
「私が世界を回したい」とか、

そんな思いを許す土壌が耕されていったのです。

こんな私が自分の多面性に気づくのは、
まだ少し先のお話・・・。

(文:飯田みゆき)

森と魂のセラピスト 飯田みゆきコラム

NO.1  「真の自己ってなんだろう。」

 

飯田みゆき
森と魂のセラピスト、森林インストラクター、ハーバルプラクティショナー、薬剤師。
テーマ『自然と対話し、自分と対話し、今ここにある自分を祝福する』。
森の癒しのヒミツを探る~森と魂のセラピストブログ